「禅-心をかたちに-」(京都国立博物館)開会式

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20160413-1.jpg4月12日より、臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱を記念した特別展「禅-心をかたちに」展が、京都国立博物館で開催されております。

4月11日には、その開会式と内覧会が行なわれましたのでご報告致します。

20160413-2.jpgまずは、京都国立博物館の平成知新館1階において、臨済宗黄檗宗各派の総長や関係者が参列し、法要が執り行われ、大本山方広寺方丈から出展されている釈迦三尊像の前に、臨黄合議所理事長の蓮沼良直師(南禅寺派総長)導師をされました。

20160413-4.jpgその後、平成知新館前にて、多くの招待者が見守る中、開会式があり、京都国立博物館館長の佐々木丞平氏、臨黄合議所理事長の蓮沼良直師、日本経済新聞の大阪本社代表・川合英雄氏の挨拶がありました。
下記に、臨黄合議所理事長の蓮沼良直師(南禅寺派総長)からのごあいさつを掲載させていただきます。

【臨済宗黄檗宗連合各派合議所理事長 蓮沼良直 開会式挨拶】

このたび、臨済禅師1150年・白隠禅師250年の遠諱を記念して本展覧会が開催されますことは、禅の心を伝える機会として大変意義深いことであり悦びに堪えません。

臨済禅師は「赤肉団上に一無位の真人あり」、即ち「生身の身体に、位も肩書きもなく、何ものにも束縛されない一人の絶対的自由な真の自分がある」と説かれました。そして八百数十年後に白隠禅師も「衆生本来仏なり」、即ち「誰もが生まれながらに仏心を具えもっている」と説かれています。従って自分自身が「無位の真人」でありうること、「仏心を具えもっている」ことを自覚することが禅の宗旨の肝要なところであります。

臨済禅師は中国唐時代末に生きた方です。亡くなられたのは867年1月10日と伝えられていますが、ご誕生の年は分かっておりません。その頃、日本では平安時代前期にあたりまして、真言密教を伝えた弘法大師等によって密教による仏教文化が花開いていました。一方唐は安史の乱を経て王朝は弱体化して地方に動乱が起こっていました。臨済禅師はこのような不安な社会の中で人々に真実の生き方を説かれたのであります。白隠禅師もまた、近世中期に於いて社会を支える民衆に対して、真の生き方を分かりやすく説いて教化を尽くされた代表的な祖師であり、日本臨済宗中興の祖と仰がれております。

さて臨済という名は、中国河北省石家庄市の郊外を流れる滹沱河の畔にある寺の名前であります。その河の渡し場、即ち「済し場」に臨むところから付けられました。臨済禅師はその寺に住んだので「臨済禅師」と呼ばれているわけです。しかしこの名称は単に「渡し場に臨む」の意だけではなく「済度に臨む」という心も込められているのです。

臨済禅師から白隠禅師を経て現代に至るまで1200年、今も国の内外を問わず社会に不安要素が溢れ、人々の多くは恰も霧中の舟路を行くような感じがいたします。
そのような中にあっても禅の教えは脈々と相承され、心を救済する教えであるが故に、霧中にあっても済度の法灯としてこれから先も時代と地域を超えて光り輝くことと信じております。

このたびの出展文物は非常に多く、分野も多岐にわたっております。今、禅文化の真髄を目の当たりにすることができるのは、臨済禅師・白隠禅師のご遺徳の賜物であると深く心に刻むところであります。

本展を通じて、多様な作品のそれぞれに込められた禅の心の世界をご堪能いただけましたら幸いに存じます。
最後になりましたが貴重な宝物を長期間ご出展下さいました各位、ご協賛ご協力を賜りました関係各位に対し心から御礼申し上げます。


20160413-5.jpg各位の挨拶に続き、テープカットも行われました。

20160413-6.jpg開会式ののち、招待されている本展への出展者や関係者に特別内覧会がひらかれ、展示されている多くの国宝、重文級の宝物はもとより、珍しい一品などもあり、各位は熱心に見入っておられました。

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ミュージアムショップには、弊所の刊行物やグッズも盛りだくさん。また、会期中には諸々のイベントも用意されております。詳しくはこちらの特設ページをご覧下さい。
是非、会期中に本展にお越し下さいますよう、お待ち申し上げております。