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枯木再生花 (碧巌録 第二則頌下語) こぼくふたたびはなをしょうず

『床の間の禅語 続』

(河野太通著・1998.04 禅文化研究所刊)より

07月を表す季節の画像

 枯れ木が再び生き返って、それにみごとな花が咲いた。不思議な言葉です。『碧巌録』の第二則、その頌(じゅ)の下語(あご)に出るものです。

『碧巌録』第二則では、「至(しい)道(どう)無難(ぶなん)」の問答があげられています。趙州(じょうしゅう)和尚とある僧との問答です。その問答に対して雪竇(せっちょう)和尚が歌った詩を頌といいます。
その雪竇禅師の頌に対して、後世になって圜(えん)悟(ご)禅師が短い文で自分の感想を述べたものが下語です。いわば、野次を飛ばすようなものです。野次は長ったらしくては効果がないから、寸鉄人を刺すがごとき、気のきいた短い言葉で批評する。それが下語というものです。雪竇禅師の詩はこういうものです。



至(しい)道(どう)無難(ぶなん)、言端語端(ごたんごたん)             
一に多種(たしゅ)有り、二に両般(りょうはん)無し                 
天(てん)際(ざい)、日上(ひのぼ)り月(つき)下(くだ)る                     
檻前(かんぜん)、山(やま)深(ふか)く水寒(みずさむ)し                     
髑髏(どくろ)、識(しき)尽(つ)きて喜(き)何(なん)ぞ立(りつ)せん                
枯木龍吟(こぼくりゅうぎん)、銷(しょう)して未(いま)だ乾(かわ)かず         
難々(なんなん)、揀択(けんじゃく)明白(めいはく)、君(きみ)自(みずか)ら看(み)よ



 この「枯木龍吟、銷して未だ乾かず」というところに下語して、「枯木再び花を生ず。達磨(だるま)唐土(とうど)に遊ぶ」という野次を飛ばしたわけです。この「枯木再び花を生ず」が、どういう意味合いの言葉なのかを正しく見るためには、元の詩を理解しなければなりません。


-至道無難、言端語端- 
 至道無難。これは達磨大師から三代目の鑑智(かんち)僧燦(そうさん)禅師の『信心(しんじん)銘(めい)』にある言葉です。正しい信心、キリスト教的にいうと信仰ですが、仏教では信仰という言葉は本来は使わずに、信心といいます。何が正しい仏法の信心であるかを四字ずつの詩で歌ったのが『信心銘』です。この『信心銘』のトップに「至道無難、唯嫌揀択、但だ憎愛莫ければ、洞然として明白なり(至道無難、唯嫌揀択。但莫憎愛、洞然明白)」という言葉が出てきます。「至道は難きこと無し、唯だ揀択を嫌う」。至道は至極の大道、本来は道家の言葉です。道家でいう至極の大道、人間の究極の人生観、生き方というものは、すなわちそれは仏道だというわけで、この言葉が仏教に入ってからは、仏道のことを至道というようになりました。「至道無難」。至極の大道、すなわち仏道は難しいものではない、と。仏道といえば、滝に打たれるとか、寒中、素足にわらじで托鉢するとか、あるいは坐禅するとか、千日回峰行をやるとか、私たちごく普通の者には難しいものだと思うかもわからないけれども、本当の仏道とはそんな難しいものではない。「唯だ揀択を嫌う」。ただ選択、選り好みをしてはいけない。こっちは好き、こっちは嫌いという、選り好みがいけないだけだ。「但だ憎愛莫ければ、洞然として明白なり」。憎愛、こっちの人がかわいくて、この子は憎らしい、という選り好みをしてはいけない。勉強のできる子もできない子も平等にやはりかわいがっていくのが、親としての本当の道。こっちがかわいくて、こっちは憎い、という心がこちらになければ、洞然として明白である。洞然は、洞穴の中に雑物が何もないようにガランとしていること。ガランとして明白である。明らかにはっきりしている。そこに何かモヤモヤがあると、心が晴れない。どうもあいつの顔を見るのが嫌だが仕方がないという時は、心の中が何かモヤモヤしているが、そんなモヤモヤもなくカラッとしている。あっけらかんとしている。そうあれば、それこそ至道無難です。そうなるためには、好きだ嫌いだと選り好みをしてはいけない。
 こういう言葉から『信心銘』は始まるのです。選り好みがあってはいけないというのですが、難しいところです。実際のところ、私たちは、何から何まで選択の中で日暮らしをしているのです。日々、選り好みの中で生活しなければ、私たちは生活できないのです。それを百も承知の上で、選り好みをしてはいけないといっているのです。
 この子はいつも親に反抗するから憎らしい、という思いを抱いては仏道に当たらない。親というものは、その子その子の特性を見極めた上で、憎愛なしでなければなりません。憎愛なく、平等に懐の中に抱えていくのが仏道というものです。そのふたり共を抱える心とは、どういう心か。憎しみという雲もない。特別この子がかわいいという、そんなモヤモヤもない、カラッとした、スッキリとした心です。そういう心でいることが仏道というもの、それが至道です。このように仏道というものは難しいものではない。特別にこれがかわいらしくて、これは憎らしくて嫌だという思いをもたなければいい。それだけのことなのです。
ですから「至道無難、言端語端」。言端語端、私たちが日常使っている言葉のすべての端々が仏道なのです。「お早うございます」「こんにちは」、こういう日常ごく当たり前の挨拶も、難しい論理的な話も、その言葉の端々が実はみんな仏道なのです。そんな言葉の端々がどうして仏道なのか。
「こんにちは」「お早うございます」という言葉に人の心が表現されています。言葉とは、人間の心を相手に伝える符牒(ふちょう)、道具です。
心を表現するために使うのが言葉の本来の使い道ですが、どうかすると心なしに言葉が先行してしまう場合があります。それはもう空虚な言葉です。ちょうどオウムや九官鳥が人の言葉を真似するようなものです。何も心がない。「お早うございます」と、いつも家の人たちがいっているのを覚えると、人がくるといつでも「お早うございます」という。あれには心がない。そのように心を伴わない言葉というのは仏道にはならないのです。
 『荘子(そうじ)』の知北遊篇に「無知無能は、固(もと)より人の免(まぬか)れざる所なり。夫(そ)れ人の免れざるを免れんと務(つと)むる者は、豈(あ)に亦(ま)た悲しからずや。至言(しげん)は言を去り、至(し)為(い)は為を去る。知の知る所を斉(かぎ)りとすれば則ち浅し」とあります。私たちはだいたい無知無能ですが、生まれてからいろいろな経験をします。自分で求めて積極的に経験しようと思わなくても、いろいろな嫌な経験もします。親に死に別れたり、怪我をしたり、病気をしたり、いろいろな経験をしますが、自分が一度経験し、体験したりしたことは、体を通してよく知っているわけです。しかし、この短い人生の中であらゆることを経験するということは不可能です。経験していないことのほうが多い。ですから、体験していない、学んでいないことを自分でやろうと思ってもできない。そのことを知ることが、実は人間の一つの知恵だと思うのです。
 ところが、若いときは、まだ三十年ぐらいの体験しかないのに、なんだか自分はすべてをよく知っているような錯覚をします。若いときというのはそんなものです。自分たちのほうがずっと進んでいて、人間として上等な気がして、年をとった人というのは何も知らん、ただしわ皺が寄って口うるさいだけだ、という見方をする。しかし、その年寄りのほうが、この世界に生きている期間がずっと長く、いろいろなことを体験している。若い人たちが知らないことをよく知っている。そういうところを見ずに、未経験のまま人生の経験者というものに対して軽蔑の念をもつというのは、彼らにとっては不幸なことですが、自分の無知無能というものに気がついていないのです。そういうことは、「もと固より人の免れざる所」であって、無知無能というのは人間としてどうしても免れ得ない。私たちでもそうです。だんだん年を重ね、いろいろな体験をしますけれども、そうかといってそれが万能になるということはあり得ない。やはり自分の知らないことのほうがこの世の中には多い。世の中には自分の知らないことのほうが多いのだということを知らないのが一番の無能者なのです。
 万能というわけにはいかない。どうしても知らないことのほうが多い。無知無能な点のほうが多い。人間は結局どこかしら欠陥が多く、神のように万能ではない。それが人間というものだけれども、その無知無能から逃れようと努力する。知らないことを知ろうと勉強もする。しかし、究極にはやはり万能にはなりきれない。「豈に亦た悲しからずや」、まことに悲しいことではないか。ついに万能にはなり得ず、人はみんな何かの希望を抱きながら命を終えていかなければならない。まことにこれは悲しからずやです。
 そこで「至言は言を去り、至為は為を去る」。至言、まことの言葉というものは言葉を去る、言葉ではないというのです。本当の言葉というのは、言葉を超えたものである。そしてまた、至為、本当の行為というものは作為を捨てた行為である。自分はこうしているという思いがなくなったときが、本当の行為だというのです。よくいわれることですが、ピアノを弾く人が、この場合は右手でこの鍵を叩いて、左手はこの鍵を叩くというふうにやっている間はまだ本当の曲は弾けていないのです。最初はそう思いながら弾いているわけですが、回を重ねているとそんなことは思わなくても自然に手が動いていく。それが本当にピアノを弾くということなのです。そういう体の動きが、まことの体を動かすということなのです。頭の中で考えなくても、そのはたらきが、技術が自然に身についてしまう。こういうのを至為といいます。
 「知の知る所をかぎ斉りとすれば」、もし私たちがそういった事柄を、本を読んで研究し、あるいは人の話を聞いてそれで納得して、それでいいのだとするならば、「則ち浅し」。そんなことで得た知識は、底が知れている。真実の道、すなわち至道、仏道というのはそんな知識を超えたところにある。元来、人間は知識というものがなくても生活していたわけです。そして、心を人に伝えるために、どう伝えたほうがいいか、どう説明したほうがいいかということで言葉ができてきた。知識を頼りにして真実を知るということ、これは方便です。そういう知識の知恵ではなく、心から出てくるところの智慧というものは、本来みんなに具わっている。元来具わっているから難しいことはない。そこで、「至道無難、言端語端」です。仏道は難しいことではない。言葉の端々にちゃんと仏道は現われているということになるわけです。「お早うございます」という言葉一つにも、本当に心をもっていうならば、その「お早うございます」が仏道になっている。


-一に多種有り、二に両般無し-
 一つのことでもさまざまな表現がある。またさまざまな表現でも、それに二つの違うものがあるわけではない。私は私一人です。河野太通というのは、私だけしかいない。これが一です。しかし、私は今、講師としてここにいます。お寺に帰ると祥福寺の住職、雲水たちに指導するときには師匠、京都に行くときにはJRに乗りますからJRの一乗客となる。駅で降りてタクシーに乗ると、タクシーの乗客。そのように、私は一つですが、この一つがさまざまな表現をとる。たった一つのものがいろいろな表現をとるわけです。それが「一に多種有り」です。
 一方、「河野さん」といわれても私だし、「太通さん」といわれても私です。二つの表現をするけれども、別な二つがあるわけではない。その二つは同じ私のことを指している。「和尚さん」「はい」、「そこの人」「はい」と返事する。いろいろな表現をしますけれども、多種多様あるわけではない。そう表現されるものは私一人です。
 実は、ここのところで至道無難ということを、もう歌いつくしています。おしゃべりをしようが、どんな行為をしようが、どのように私が呼ばれようが、これは一つの真実というものをそのように表現するのであって、その真実がわきまえられているならば、そこのところが憎愛のないところなのです。憎と愛、二つありますけれども、これは表現が違うだけで別々のものではないというわけです。同じ一つのものを、憎いといったり、かわいいといったりしているだけなのです。
 「あの子は憎らしい」「そうですか、私はそう思いませんけれど」と、一人の人間に対して評価の違いがある。ですから憎い、かわいいというのは、それを見る人の心によって憎い、かわいいと表現するだけのこと。そのもの本来はかわいいと決まったものでもない。見る側の都合によって憎いといったり、かわいいといったり別々の表現をとるだけのことなのです。そのもの自体は、憎くもかわいくもないものがあるだけ。そこのところがわかるならば、「洞然として明白なり」です。憎い憎いと思っていたけれども、それは思い違いだった、と気づくとカラッと晴れてしまう。
 ある真実なるものを表現するのに、自分の心の中に愛しいと思えば、そのものが愛しいものとなり、憎いと思えば、それが憎いものになる。しかし、そのもの自体は憎くもかわいくもないものです。そういう視点を、すべてに対して失わないようにしていくのが、仏道というものです。究極は、すべてのものは空なるものであると、うなずいていく。この世界に存在するものはすべて空なのだ。一時は憎かったり、いとおしかったりするけれども、そう見ながら、しかもその根底は空なるものであるというたつ達かん観をもつこと、それが大切なのです。
 そして、そのように憎い、かわいいと思っている自分自身も、その体も心も空なるものである。いま憎い、かわいいと思っていても、時間がたてば変わってしまう。根底は空なるものであるという、心の坐りというものがなければならないのです。そして、そこへかえ還ってみると、「洞然として明白なり」です。
 そこで、さらに雪竇和尚は詩を続け、この至道無難、洞然として明白な世界の状況を具体的に歌っています。


-天際、日上り月下る-  
 この大空の遥かかなたに太陽は昇り、月は沈む。大自然の姿は見る人の心によって違うけれども、天命自然の理は時を違えず日夜運行しています。


-檻前、山深く水寒し-  
 自分が坐っている手すりの向こう、見渡せば山は青々としてどこまでも続いて深く、目を下に転ずれば、山下を流れる谷川の水はサラサラと冷たい。作為のない、大自然のありのままの姿。これはかわいいものでもなければ、いとおしいものでもない。まことに、自然のままの状況です。達人はこの大自然のものにむかって、大自然のあるがままを眺め、これを素直に心に受け止める。しかし、迷えるものは、太陽の沈む姿を見て悲しみ、寂しい、恨めしい思いをする。月が昇ってくるのもかなわん。また夜がきた。夜が淋しい。犬が遠吠えをするのがかなわん。早く夜が明ければいい、などと思う。しかし、大自然自身は憎でもなければ、愛でもいい。見るものの心によって、それが憎いものにもなり、きれいなもの、かわいいものにもなるのです。「一に多種有り、二に両般無し」です。その大自然は無心であるというところを「天際、日上り月下る。檻前、山深く水寒し」と歌っておられるのです。


-髑髏、識尽きて喜何ぞ立せん-
 私たちはこうして生きているから憎いのかわいいのといっているのですが、死んでしゃれこうべになったら、もう六識という、眼・耳・鼻・舌・身・意のはたらきはありません。目玉もなければ耳もはたらかない、鼻で臭いをかぐということもないのだから、嬉しいとか悲しいとかいう感情は何も起こってはきません。しかし、


-枯木龍吟、銷して未だ乾かず-
 枯木龍吟。枯れ木が寒空に突っ立っているところへ、木枯らしが吹いてくると、ピューと音をたてる。それを、龍が鳴いているように古人は見、そして聞いて「枯木龍吟」と表現したのです。もう枯れて死んでしまっているけれども、そこに木枯らしが吹くとピューと鳴る。そこのところは、まだ完全に死に尽きてはいない、というのです。どう死に尽きていないのか。
 江戸時代に、至道無難禅師という方がおりました。よほど至道無難という言葉がお気に入りだったとみえて、みずからを至道無難と名乗った方です。その至道無難禅師の歌に、


  生きながら死人となりてなり果てて

       思いのままにするわざ技ぞよし


とあります。よく「大死一番」といいます。本当に死にきらないと大きな仕事はできない、ということです。「生きながら死人となりてなり果てて」、自分で体を動かしながら体を忘れている、それが生きながら死人になった状況です。ピアノの鍵盤を叩きながら、自分は叩いているという意識はない。自分の体がなくなってしまって、体を自分が動かしているという意識がない。体をもっているという意識がない、というところです。
 「枯木龍吟」、いっぺん死に、死んだはずのものが今度は生き返ってくる。そうすると、やはり強いです。いっぺん死ぬと腹が坐ってくる。それが本当に生きるということで、そこを「大死一番、絶後に蘇る」といいます。生きながら死人となる。大死一番。生きながらしゃれこうべになってみることです。死ぬということを忘れ去っては、本当に生きることはできません。
 「枯木龍吟、銷して未だ乾かず」というのが、絶後に蘇ったところです。いっぺん喜怒哀楽の情というものを捨てきって、死んだところから、「思いのままにする技ぞよし」で、今度は無心に喜怒哀楽の情を起こしてくる。ああ、花が咲いてきれいだ、と喜怒哀楽の情をゆたかに発現していくのです。それが本当の人間性の復活ということになると思うのです。そこを、「枯木再び花を生ず」と歌っているのです。


 -難々-
 そう口ではいうけれども、難しいことだ。最初に「至道無難」と歌い出したけれども、最後は絶後に蘇らなければならないから、「難々」、一番やさしいことが、やはり一番難しいことだ、と歌っているのです。


-揀択明白、君自ら看よ-
 揀択を起こさなければ「洞然として明白なり」というが、そこのところはもういくら言葉を探ってもわからん。その言葉が出てくる心にうなずかなければならん。それは人にいくら説明してもわからないのだから、一人一人が自分でそういう境地を味わわなければならん。「君自ら看よ」と。