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枯木花開劫外春 (人天眼目)巻二 こぼくはなひらくごうがいのはる

『床の間の禅語 続』

(河野太通著・1998.04 禅文化研究所刊)より

07月を表す季節の画像

「枯木再び花を生ず」と同類の語句です。精神的に一度死にきって、そこから蘇ってみますと、毎日見なれている平凡な我が家の庭の木や草が、今日はいきいきと新鮮に光り輝いていて、別な世界の景色のように見える。絶後に蘇生した者の心の風光をうたったものでした。

枯木花を開く劫外の春
劫外とは、時間の外ということですから、劫外の春とは、時間を超越した永遠の春ということで、枯れ木に花が咲いて、永遠の春を迎えたということです。近頃は枯れ木にも花が咲きます。ドライフラワーです。あれは生きている花より長持ちします。色が褪せないから、あのことをいうのだなと思っていただいては困ります。
 枯れ木に花が咲く。人を枯れ木に喩えては失礼ですが、枯れきった心境の人ならばこそ、まことの花が心中に咲く。この花は時間にも、季節にも関係なく、いつ開くかわからない。そして、開いたその花は、しぼまない。人生の花は永遠に咲きつづけます。
 ノーベル平和賞とか物理学賞とかいうものも一つの人生の花といえましょう。こうした花は、四季折々の花とは違ってしぼむことがなく、永遠に咲き続けるものです。しかし、その花は、通りいっぺんの努力では咲きません。どこかで人知れず苦労を嘗め、研鑽を積んでこそ初めて咲く花だ。人知れずに研鑽を積む、そこが枯木の世界です。世間の華やかさを求めて遊んでいたのでは、人生の花は開きません。世間の喜怒哀楽などには目もくれず、枯れきり、死にきり研鑽をして、初めてその花は開くのでありましょう。
 仏道とは、凡夫が仏になる道です。凡夫が、至道無難禅師の歌にあるように、「生きながら死人になりてなり果てて」そこから蘇ったとき、すべてをありのままに包摂できる仏の世界が開けるのです。これこそ枯木に永遠に花が咲くような奇跡というべきであります。