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両頭共坐断 八面起清風 『大慧語録』巻六 りょうとうともにざだんしてはちめんせいふうをおこす

『床の間の禅語 続』

(河野太通著・1998.04 禅文化研究所刊)より

09月を表す季節の画像

 両頭とは悟りと迷いの二つをいいます。迷いはもちろんこれを捨てなければならない。人はえてしてもう一方の悟りとか好いことは後生大事にかかえておきがちです。しかし、「好事も無きにはし如かず(好事不如無)」といわれるように流れる水は腐らないが、淀む水は腐る。悟りも好事もそこに安着していると、それが新たな執着という迷いになる。だから、どっちもないほうがいい。迷いも悟りも、好事も不幸も両方共に坐断する。心の坐りをもって断ち切る。
 幸福を追い求めるその心が不幸だ。「何も思わぬは仏のけいこなり」と、至道無難禅師がいわれるように、無心なのが一番よろしい。このままで結構だと思えるのが一番いい。「両頭共に坐断して、八面清風をお起こす」。八面は、上下し四方に斜めの方向をいれた八面、嫌なこともいらぬが、いいこともいらぬ、このままで結構。四方八方、どちらを向いても、どこへ行っても、爽々たる清風が吹いているようなさわやかな心境になる。好いことも、悪いことも、悟りも迷いも捨てきってしまえば、いつでも、どこでも、人間さわやかな心の持ち主でいられる。