崔魯の華清宮という七言絶句の転結の句です。長安の東北のり驪山という山に 玄宗 皇帝が避寒のためにこしらえた離宮が華清宮です。
そこには温泉が沸くので、始めは温泉宮と呼んだそうですが、玄宗皇帝の代になって華清宮と改められたということです。
玄宗皇帝が、かの楊貴妃を伴ってしばしばここに遊び、豪華な歓楽に耽ったことで有名ですが、その玄宗皇帝時代の昔を偲びつつ、その栄華がはかなく消え去ったことを嘆いた詩が「華清宮」です。
崔魯は、宣宗皇帝の大中年間(八五〇年頃)の人。玄宗皇帝、粛宗皇帝、それから八代続いた後、宣宗皇帝となりますから、玄宗皇帝が亡くなってほぼ百年くらい後の方です。
その崔魯が、玄宗皇帝の華やかな時代を偲びつつ、それが消え去った無常を歌ったのです。
草は回磴をさえぎ遮って鳴鸞を絶ち
草遮回磴絶鳴鸞
雲樹深々としてへき碧でん殿寒し
雲樹深々碧殿寒
明月自ずから来たり還た自ずから去る
明月自来還自去
更に人の玉闌干に倚る無し
更無人倚玉闌干
草は回磴を遮って鳴鸞を絶ち
回磴は石畳。鳴鸞は、皇帝の乗り物につけられた鈴。玄宗皇帝が御輿の鈴の音を鳴らしながらやってきたの昔のこと。
今では、巡りめぐる石畳には雑草が生えて道を塞ぎ、その鈴の音もプッツリと跡絶えたままだ。
雲樹深々として碧殿寒し
雲がたちこめ、樹木は深々と翡翠を散りばめた宮殿に被いかぶさり、宮殿は冷え冷えとしている。
明月自ずから来たり還た自ずから去る
かつての栄華の面影すらなくなった宮殿を、主人がいなくなったにも関わらず、昔と変わらぬ月が、皓々と照らし、また去っていく。そして、
更に人の玉闌干に倚る無し
宮殿の玉を散りばめた手すりに寄り掛かって、その明月を鑑賞する人の姿は、もう絶えて見掛けることはない。
明月は昔と変わらずに去来して、清らかな光を投げかけるけれども、その宮殿の欄干に寄って月を愛でる人はいない。環境だけがあり、主観というもの、人間というものは全然ない。これも前出の詩句と同じく、主観が客観の中に没入して姿を消してしまった寂然とした境地を歌うというわけで、「奪人不奪境」の境地を表現するものと受け取ります。