
杜甫は長く放浪して、一生を不遇に過ごした方です。官吏登用試験に落第する。玄宗皇帝に寵愛されながら、安禄山の乱(七五五)に、四十五歳のときに遭う。そして、賊軍に捕えられてしまうが、長安の都が陥落してしまったそのときに、「国破れて山河在り」という有名な詩を歌った。国が破れて、みんな囚われの身になってしまい、あるのはただ国土だけ、という詩です。玄宗皇帝はすでに囚われの身になっていて、楊貴妃も首を締められて亡くなってしまう。玄宗皇帝の息子の粛宗皇帝が後を継ぐが、もう長安の都には帰れないので、地方の都市で即位式をやることになる。そこで杜甫は、長安の都を脱出して、新たな皇帝である粛宗のもとに走ります。そして [左拾遺]という、記録係の役職に抜擢されますが、のちに皇帝の怒りを買うことがあって、地方の田舎にとばされてしまう。食べることができないから、やがてその職を離れ、友人を頼って隣の蜀の首都である成都に行く。そこで借り住まいをして、細々と暮らすこと六年、五十三歳のときに作った絶句です。これは、望郷の念を歌ったものなのです。
江碧にして鳥逾いよ白く 江碧鳥逾白
山青くして花燃えんと欲す 山青花欲燃
今春看すみす又た過ぐ 今春看又過
何れの日か是れ帰年ならん 何日是帰年
江碧にして鳥逾いよ白く
江は錦江という川。錦江の水の色は碧深く、そして翔ぶ鳥の姿がいっそう白く見える。
山青くして花燃えんと欲す
山は緑に、そしてその緑の中のあちこちに咲く花が燃えるように赤い。これは桃の花だという。
江の碧と鳥の白、そして山の緑と花の赤、こう対比させることによって成都の春の美しい景色を歌いあげています。ところが、
今春看すみす又た過ぐ
長安の都を離れて、この成都にきてからもう六年になる。いつかはまた長安の都に帰れると思っているけれども、今年もこのみごとな春が過ぎ去っていく。
何れの日か是れ帰年ならん
いつ故郷へ帰ることができるのであろうか。
杜甫はさらにこれから六年、わび住まいをして、ついに長安に帰ることなしに客死しています。
「江碧にして鳥いよ逾いよ白く、山青くして花燃えんと欲す」、川はあくまでも深い碧水を湛えている。その深い碧をバックにして、水の上を白い鳥が飛ぶと、その白さはいよいよ引き立つ。そしてまた、山の緑がバックになって、花の赤さがいっそう引き立つ。こういうところに一つの禅の世界、「頭々顕露、物々全真」という境地を見るのです。
碧も白も緑も赤も、一つ一つは色が違うけれども、それぞれがみな完全なものです。この世界に存在するものは、そっくり同じというものは何もない。みんなどこか違ったまま、それぞれが完全であり、平等である。赤と白とどっちが優れているか、そんなものは比べられない。赤は赤で十点満点、白は白で十点満点。しかも水の碧が鳥の白を引き立たせ、鳥の白が水の碧を引き立たせる。また山の緑が花の赤を引き立たせ、花の赤が山の緑を引き立たせる。みな持ちつ持たれつで、相手がそこに存在することによってこちらが引き立っていく。こういう大調和の世界の出現の現実を歌ったのです。どう調和しているのかと、理屈で説明せずに、端的に詩をもって表現します。「江碧にして鳥逾いよ白く、山青くして花燃えんと欲す」、これが大調和の仏の世界だと見るのです。