
頭の上にも脚の下にも、どこもかしこも満ち満ちている。何が満ち満ちているのか。宇宙の生命という真実です。
お釈迦さまは「山川草木悉皆成仏」とおっしゃっています。山も川も草も木も、この世に存在するすべてのものはみな成仏していたと。私たちはそういう真実の世界の真っただ中に毎日暮らしている。それに気がつかないのは愚かしいことではないか。その愚かしい自己自身にも仏の命がすでに具えられていることに気がつかなければならん。
気がついてみるならば、「古松般若を談じ、幽鳥真如を弄す(古松談般若、幽鳥弄真如)」、松が風に吹かれてザワついているのが、般若心経を唱えていると受け取れる。あれはお釈迦さまのご説法だと聞こえてくる。鳥が鳴いていれば、それが観世音菩薩のおさとしの声であると受け取れる。
そうなるならば、「頭上漫々、脚下漫々」です。頭の上も脚の下も、すべてが宇宙の命を具えたもので満ち満ちていると受け取れる。