禅語

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兀然無事坐 春来草自生 『伝灯録』巻三十「南嶽懶瓚和尚歌」 こつねんとしてぶじにしてざすれば はるきたってくさおのずからしょうず

『床の間の禅語 続』

(河野太通著・1998.04 禅文化研究所刊)より

08月を表す季節の画像

 兀然は、動かないさま。心の中に何も騒ぐものなく動かずに坐っていると、いつしか春がやってきて、青い草が芽を出し始める。今は苦しくとも、バタバタせずにドンと腰を据えて何事もなく坐っていれば、必ずいつかは塞がれている境地も開けるときがくるに違いない。このように、受け取ることもできますが、もう一つの受け取り方もありましょう。
 動かずに、ただ坐っていたのでは、必ず春が来るように、雑念の雑草が出てくるに違いない。ただ坐っているだけでの人間の心は、淀んで腐った水のようにジメジメとして、そういう心境からは雑念の雑草が生えるに違いない。だから大死一番しなければならん。ただボヤッと坐っているのではいけない。死にきり絶後に蘇る坐禅をしたまえ。この二通りの意味が含まれています。