
『人天眼目』に出る有名な言葉です。
清風明月を払い、明月清風を払う 夜空に輝いている月には、払わなければならないような埃はない。その明月の埃を払うように清らかな風がスーと吹き抜ける。いかにもきれいな、埃などついていないであろうあの明月を、払うようにして一陣の清らかな風が吹く。吹き抜ける風自身も清らかだし、月もいよいよ清らかである。「清風明月を払う」、清らかなものを清らかなものが撫でていく。明月だけが輝いているよりも、さらに爽やかな感じがします。何もないところに清風が吹き抜けるよりも、そこに明月があったほうが、いっそう清々しさが増します。
清らかな風のほうが主になったり、輝く月のほうが主になったり、互いに主となり客となってお互いを計らずも高めあっていく世界。これを賓主互換といいます。客と亭主とが互いに入れ代わる。
客は客、主人は主人ですが、お互いに客の立場になり主人の立場になる。こうしてお互いがお互いを高めあう。
主人は主人としていつも高みにいるわけではない。客は客でいつもへりくだってばかりいたのではおもしろくない。互いに互いの立場を尊重しながら、お互いに主となり客となっていく、こういう自由自在な境地、世界。それを表現しているのが、「清風明月を払い、明月清風を払う」です。客は客でありながら主人を高め、主人は主人でありながら客と接することによって、客が高められる。主人も客もお互いにお互いを作為なしに高めていく。こういう人間関係があれば一番いいわけです。それがいつも保てればいいのです。そのような賓
主互換のありようを、清らかな風と明月との関わり合いで表現したものです。