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四海浪平龍睡穏 九天雲静鶴飛高 『圜悟録』巻一 しかいなみたいらかにしてりゅうのねむりおだやかなり、きゅうてんくもしずかにしてつるのとぶことたかし

01月を表す季節の画像

 おめでたい、境地の大きな句です。『圜悟録』などにある言葉です。おめでたい句ですから、お正月のお床にふさわしいのですが、日本では四とか九とかの数字が好まれないためか、あまり床の間には掛けられません。

 四海浪平らかにして龍の睡り穏やかなり、九天雲静かにして鶴の飛ぶこと高し-
-四海は、中国を中心として、そのまわりに四つの海があるという発想から出た言葉です。すなわち、全世界ということ。九天は、東西南北の四方、東西南北の間の四維、あわせて八方に、真上の空を加えたものです。九天と詩的に表現しますが、すなわち空全体という意味です。
 四方の海には風もなく、波も立たず、その海に潜んでいるであろう龍は穏やかに静かに眠っている。そして、目を転じて空に向けると、空という空に存在する雲は、風もなく静かにたなびいていて、おめでたい鶴が、空高く舞いあがっている。

 四海、世界の海、見渡す限りの空、これらが「境」です。この「境」に眠る龍、そして飛び戯れている鶴、これが「人」です。海は波静かだし、空は風が静かで雲が緩やかに浮かんで、龍は穏やかな海の底で眠りこまやかであって、鶴は飛んで楽しんでいる。人境ともに相手を否定することなく、そのまま平和なおめでたい世界が出現している。自己の思うように、眠たいものは眠り、空高く飛ぶものは飛んでいる。それに対して環境は、波静かに風穏やかにそれを受け入れている。受け入れることによって、人も境もお互いにお互いを認め合って、そこに楽しいおめでたい世界が出現している。「人境倶不奪」の境地です。同じ「人境倶不奪」でも、人と環境とがお互いに認め合って、そこにおめでたい世界が出現しているもの、静寂な境地が出現しているもの、あるいは和やかな境地が出現しているものと、いろいろな違いがあります。けれども、根本的な精神は、主観も客観もお互いにその所を得て調和していくという境地なのです。