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寒流石上一株松   (三体詩) かんりゅせきじょういっしゅのまつ

『枯木再び花を生ず -禅語に学ぶ生き方-』

(細川景一著・2000.11.禅文化研究所刊)より

01月を表す季節の画像

長崎県島原半島の雲仙・普賢岳は二百年ぶり、フィリピンのピナツボ火山は六百年ぶりの噴火とか。

テレビ、写真等で見るにつけ、大自然の悠久な姿に圧倒されます。否、恐怖さえ感じる昨今です。

鈴木大拙博士は台風の過ぎ去った跡を見て、「自然が意見を吐いた」と嘆息し、また、内村鑑三博士も「学ぶべきは自然」と喝破しています。私達は、もっと大自然に目を凝らして、耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。

中国古代の詩集『三体詩』の中に盧仝の「鄭三の山に遊ぶに逢う」の詩があります。

相逢あいおうの処 くさ 茸茸じょうじょうたり
峭壁しょうへき 攅峰さんぽう 千万重せんまんじゅう
他日たじつ 君をす 何れの処かからん
寒流かんりゅう 石上せきじょう 一株いっしゅの松

 鄭三とは人の名前。茸々とは草の生い茂るさま。峭壁とは切りたった崖、攅峰とはむらがる峰々の事です。

はしなくも、君と出逢った場所は草がぼうぼうと生い茂り、切りたった崖、重なり合った峰々が果てしなく続く。いつの日にか、また、君と出逢いたいものだが、何処がよいのだろうか。寒流の流れの中に松が生えている石があるけれど、その辺で如何だろうか、というわけです。

寒流石上、恐らく石の上には根を張る土などが一かけらもないはずです。また、時には寒風も吹きすさび、濁流が洗い流す事もあったはずです。しかし、岩の割れ目に根を張って1本の老松が幾度の風雪に耐えて雄々しく生えている。まさにすう崇こう高な姿です。

この老松の姿から私達は人生の在り方を学ぶべきです。

人生には山あり谷あり、色々な事があります。それ等を一つ一つ乗り越えて雄々しく生きぬく事を教えています。

円覚寺の夏期講座で大変面白い話を聞きました。植物学者の宮脇昭氏の話です。

――植物の社会では、我慢の出来ない植物などは一時もこの世の中に生きていけません。皆さんが水際には水際の好きな植物が、山には山の好きな植物が生えていると思っているとしたら、大変な間違いです。私たちが現場で調べると、ほとんどの植物は、その生理的な最適域から少し水際や、少し乾きすぎた所や、少し酸性土壌や、あるいはアルカリ性土壌の所に押し出されて、やや条件の悪い所で我慢して生きているのが一番健全な状態であると分かりました。すなわち、生理的な欲望がすべて満足できる最高条件よりも、生態学的に我慢を強いられる環境のほうが生物社会においては健全な状態だといえるのです。(雑誌『円覚』第212号参照)

 石上の松だけではありません。路傍の雑草でも、皆、我慢強く生きているのです。それが健全な生き方だと云うのです。

私達は、冬は暖房、夏は冷房、歩くよりは車で、と云うように際限なく続く欲望を満たす為、便利で効率的で経済的でより豊かな生活を求めすぎているのではないでしょうか。

寒流石上の松に、路傍の草木に学ぶべきです。