江戸時代の後期、勤王派の僧、釈月性が27歳の時、大阪の儒者、篠崎小竹の教えを受ける為、故郷の山口を出る時に作った詩です。
男児志を立てて郷関を出づ
学若し成る無くんば復た還らず
骨を埋むる何ぞ期せん墳墓の地
人間到る処青山有り
「人間」とはこの世の中、世間の事。「青山」とは青々とした美しい山。即ち男児が一度、志を立てて故郷を出たからには、学問が成就しなければ再び帰っては来ない。自分の骨を埋めるのに故郷の墓にかぎる必要などないではないか。どこへ行っても青々とした美しい山々があり、そこに骨を埋めたらいいではないか、というわけです。何事に於いても、一旦、志を立てた以上、成し遂げなければ故郷に帰らないという強い気魄を表わしたものです。
禅の修行も勇猛精進といわれるように、猛烈な精神力で求めなければ完成する事は出来ません。禅の修行は各地にある専門道場での禅道修行がすべてです。
木綿衣に白脚絆、首に頭陀袋、袈裟文庫をかつ担いで網代笠を携える雲水姿で知人に見送られて授業寺を出ます。ひとたび発心して故郷を出たからには一大勇猛心をもってやり抜かねばなりません。まさに、「男児志を立てて郷関を出づ、学若し成る無くんば復た還らず」です。
『西遊記』の中に出て来る三蔵法師玄奘(602~664)の伝記を読む機会がありました。玄奘は中国からインドへの旅を16年かかって達成しています。玄奘三蔵は国禁を破ってひそかに長安を離れ、西に向かって進みます。西への道は険悪で、砂漠の道は何百里と続き、途中熱風にあえば、ほとんどの人が砂に埋もれてしまいます。最大の難所、ゴビ砂漠即ち沙河と呼ばれる地域に入ります。熱射熱風、飛ぶ鳥も、走る野獣もいない、玄奘三蔵ただ唯一人、西へ西へと進みます。水は生命の元です。しかし、水袋を破り水を失ってしまいます。水の補給の為、また数十里、逆戻りしなければなりません。しかし玄奘三蔵は西へと歩を進めます。
我先に発願し、若し天竺に至らずんば終に一歩も東帰せず。今、何が故にか来たれる、むしろ西に就いて死す可けむ、豈に東に帰って生きんや。
(『三蔵法師伝』)
自分はインドに至らなかったならば戻って来ないと発願した。どうして戻ろうとしているのか、自分は西に向いて死ぬべきなのに、どうして東に戻って生きようとするのか!
(松原哲明『珠玉のことば』チクマ文庫参照)
一度決めた目的を達成する事が出来なければ「死」しかないというすさまじいばかりの気魄です。
フリーアルバイターなどと称して、一週間の内、半分も働けばアパートに住んで、食べて、結構遊んで暮らしていける。金や物があふれる豊饒の時代に「志を立てる」など不必要な事かも知れないが、こういう時代からこそ、このような句に参じる必要もあるのではないでしょうか。