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黄沙百戦穿金甲 不破楼蘭終不還 (唐詩選) こうさひゃくせんきんこうをうがつ、ろうらんやぶらずんばついにかえらじ

07月を表す季節の画像

『唐詩選』にある、王昌齢(700?~755?)の「従軍行」三首の第二の詩です。

 

青海の長雲 雪山に暗し
孤城 遙かに望む 玉門関
黄沙百戦金甲を穿つ
楼蘭を破らずんば終に還らじ

 

 青海とは青海省のココノール湖の事、雪山とは夏でも雪のある山の事でここでは祁連山を指します。玉門関とは中国と西域地方の境界にある関所、黄沙とは西北塞外の沙漠、砂が黄色い事から黄沙と云われています。金甲とは金属製のよろい、楼蘭とは西域を領していた異民族の国のこと。

青海方面にたなびく雲はうす暗く雪山を覆っている。故郷から遠く離れた戦場の砦で、親しい家族と別れて独り寂しく、遙かに玉門関を望んで見張りを続けている。
黄色い砂塵が吹き荒れる沙漠で、幾度も幾度も敵と戦って来た。堅い金具のよろいも、終に穴があいてしまった。しかし、憎い敵、楼蘭を撃滅しない限り絶対に帰らないぞ!と敵に対する強い勇猛心をこの句は謳い上げたのです。

禅家でこの句をよく用いるのは禅道の修行を成じるために、一番大切な事は、「勇猛の衆生の為には成仏一念にあり、懈怠の衆生の為には涅槃三祇に亘る――大勇猛心を持った人は一瞬で成仏する事が出来るが、怠け者では一生経っても成仏出来ない」と云われるように、「何クソ!何ガ何デモヤリヌクゾ!」という「大勇猛心」なのです。これがないと絶対に仏道を成ずる事が出来ないのです。「楼蘭を破らずんば終に還らじ」の強い意志を持って道に励めというわけです。

 幕末動乱の折、幕臣でありながら尊皇攘夷を志し、官軍の総大将・西郷隆盛と会見し、江戸を戦火から救った山岡鉄舟は、剣と禅と書の達人と云われています。しかし、一日にして達人になったのではありません。文字通り、血のにじむ修練でそこまで至った事を忘れてはなりません。

 

 鉄舟は天保七年(1836)に江戸で生まれ、「精神を練るには坐禅、身体を鍛える為には剣」と信じる父親の下で幼少の頃から徹底的に鍛えられます。例えば剣の道では九歳にして久須美閑適斎について真影流を学び、十歳から井上清虎について北辰一刀流を学んだ。さらに明眼の達人と云われた浅利義明について一刀流を学ぶが、文字通り血の出る身命を賭しての修行ぶりで、剣を取れば浅利の幻身が現われて圧迫され続けます。しかし、「何くそ! 学んで成らざる理なし、成らざるは自らなさざるなり」と自らに鞭打って修行する事十数年、ついに剣前の幻身を打ち切ります。かくして伊藤一刀斎の一刀流を継ぎ、無刀流の一派を開いて明治の剣聖と称されるに至ります。

 禅においても、書においても、「学んで成らざるの理なし」の勇猛心あっての結果です。「黄沙百戦金甲を穿つ、楼蘭を破らずんば終に還らじ」。「何が何でもやりぬくぞ!」という大勇猛心、何の道でも必要です。