禅語を集めた『禅林句集』の中には、これがどうして「禅」と関わりを持っているのか不思議に思う句が沢山あります。この句もしか然りです。
珊瑚とは海中に住む腔腸動物の一種である珊瑚虫の石灰質の骨格が集合して出来たもので、装飾品として大変珍重されるものです。枕上とはまくらもと、まくらべの事。
美しい珊瑚の飾りの付いた寝具の上で、恋しい人を待つ一人の佳人の複雑な心情の句です。
彼の心がもう私から離れてしまったのか、近頃、少しも会いに来てくれません。悲しくて両眼から涙があふれ出て枕を濡らします。その涙の半分は彼を恋するもので、後の半分は冷たくなった彼を恨む涙というわけです。
何故、この句が禅に関係があるのでしょうか。
禅の修行は厳しいものです。老師が修行者を鍛える鉗鎚は特に厳しく、熱喝瞋拳、即ち、大喝を浴びせられたり、手厳しい棒打ちを喰らったり、これでもか、これでもかの悪辣な活作略です。
追い返されて禅堂内に戻れば、今度は先輩達の歯に衣着せぬ罵倒に、肩が砕けんばかりの警策の策励、これも悟りの為への大慈悲心であることは充分承知はしているのですが、涙ながらに「クソ! コノ野郎!」と恨みたくなるのも人情です。
この「恨み」を「恨み」で終わらせてしまってはそれだけです。「何クソ!ヨシ! ヤッテヤルゾ!」というだい大憤志を起こして、猛烈に坐禅工夫に入るのです。恐らく「まあこの辺で!」「それ位で、今日は疲れているから!」なんて云っていては、とても大憤志を起こす事は出来ません。この「恨み」とも「恩」とも、何とも云えぬ消息が、閨中の恨みを「半は是れ君を思い半は君を恨む」と詠じた心情に通ずるものがあるから、禅門で珍重されるのです。
豊臣秀吉は、信長の草履取りをしていた頃、その草履を懐に入れて温め、信長の歓心を買って出世しますが、常陸の国真壁の城主美濃守に仕えた平四郎の場合は逆でした。
寒い冬の日でした。美濃守が雪見の宴を終えて下駄を履こうとすると、温もりがあります。「おのれの尻に敷いていたな!」と、かっとなった美濃守は、その下駄で平四郎の眉間を割ります。あたりの雪は真っ赤な血に染まります。殿様の下駄に雪がかかり、いかにも冷たそうだったので平四郎は懐に入れて温めていたのです。その日から平四郎は姿を消します。
それから30年、美濃守は、松島の円福寺(後の瑞巌寺)に法心性才禅師という、学徳高い名僧のおられることを聞いて招請して対面します。美濃守は、「老大師の額の傷はただの傷とは思われません。戦場ででも受けられたのですか」と尋ねます。性才禅師、やむなく雪見の宴の話に及びます。美濃守が手をついて謝ると、性才禅師は、「いや、かえってお殿様のお陰で今日の私があります」と逆に感謝します。姿を消してから出家した平四郎は、後に中国の宋に渡り、径山で修禅すること十年、法を得て帰国したのです。
平四郎の思いこそ、「半は是れ君を思い半は君を恨む」の消息だったのではないでしょうか。