山の上の孤雲も、海の上の明月も世俗を超えて誠に清らかな風光です。そういうところから、山雲海月の情を、いわゆる世間話ではなく、宗教や芸術・哲学の道奥をきわめた人たちの高次元の話と解して、それらの人々が会してお互いの信念や胸の内を心ゆくまで話し合うことを意味します。また、山雲海月を山のこころ、雲のこころ、海のこころ、月のこころ、即ちすべての人々のこころと解して、知音同士が貴賤貧富の別を超え、利害得失、愛憎を離れてお互いに肚の底をさらけ出して夜のふけるのも忘れて語り尽くすことをいいます。
南北朝時代、五山文学の詩人として有名な義堂周信と絶海中津は、同郷の関係で親しい友人でありました。
ある日、絶海和尚は義堂和尚を訪ねます。二人はつもる話に時を忘れて、いつか夜中になってしまいます。空腹を感じた絶海和尚は、そろそろ夕食が出てもいいのではないかと思いますが、義堂和尚、一向にそのそぶりがありません。たまりかねて、「そろそろ夕食にしようか」と言いますと、義堂和尚も曰く、「久しぶりに来たのだから郷里の米の一つかみぐらいそろそろ出るかとお待ち申した」と。二人とも顔を見合わせか呵々大笑して、また懐古談に花を咲かせます。山雲海月の情はいつ尽きるともわからない、と柳田聖山さんは、『禅語の四季』(淡交社)の中で紹介されていますが、私たちも歯の浮くような御世辞を言いながら、相手の肚をさぐるような交わり方はしたくないものです。
山雲海月で思い出すことは、唐招提寺の開祖、鑑真和上の御影堂に、昭和五十年と五十五年、二回にわたって奉納された、東山魁夷画伯の襖絵のことです。
十数年の苦闘の末、五回の難破漂流にも屈せず、盲目となって日本に達した和上の苦労を慰めるため、目のあたりに見ようとして、ついに見ることのできなかった日本の国土を、「山」「海」に象徴して描き上げた「山雲・濤声」を鑑真和上の御影を安置する御影堂に寄進されたものです。その山雲海月の図柄は、強烈に私たちの心にふるさとを感じさせてくれます。歌人、石川啄木が、
ふるさとの山に向ひて言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
と歌ったように、私たちはふるさとの山々を見ると何かホーッと心が安らぎます。幼き頃より眺めて育った山や海は、私たちの心にやきついているのです。
嬉しい時には一緒に喜び、悲しい時には一緒に悲しむ。また、楽しい時には一緒に笑い、苦しい時には一緒に苦しむ。山雲海月の大自然はいつも私たちに語りかけています。それこそ本当の、「話り尽くす山雲海月の情」ではないでしょうか。