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白狼河北音書断 丹鳳城南秋夜長  (唐詩選) はくろうがのきたいんしょたえ、たんぼうじょうのみんなみしゅうやながし

『枯木再び花を生ず -禅語に学ぶ生き方-』

(細川景一著・2000.11.禅文化研究所刊)より

11月を表す季節の画像

『碧巌録』第十八則に「忠国師無縫塔ちゅうこくしむほうとう」という公案があります。

南陽慧忠なんようえちゅう国師(?~七七五)の晩年の話です。

ある日、忠国師に唐の粛宗しゅくそう皇帝が問います「あなたの死後に私に何かして欲しい事がありますか」と。

師曰く、「一箇の無縫塔を造れ」。帝曰く、「無縫塔とはどんな形をしているのでしょうか」。国師は良久りょうきゅう、即ち目を閉じて沈黙します。

さて国師が良久して示そうとした「無縫塔」とはどんな塔でしょうか。縫い目のない、つまり何処にもヘリもキリもない形のない塔など存在しません。石や土で造った塔はいくら立派でも所詮「無縫塔」ではありません。蓋天蓋地がいてんがいち、天地一パイ、宇宙一パイの形のない「心」の塔を造れというわけです。

帝はまだその辺が解りません。国師は親切にも、良久、即ち静かに目を閉じて、自分をここまで到らしめてくれた師である六祖慧能ろくそえのう禅師の法恩を憶い、「無縫塔」を造って見せたのです。法恩の念を寤寐ごびにも忘れない事がどんな立派な塔を造るよりも私に対する何よりの供養だというのです。

古人はこの“良久”の消息を「白狼河の北音書断え、丹鳳城の南秋夜長し」と評しています。

また、この句が禅家の葬儀での引導香語いんどうほうごの中で、故人を悼む言葉としてよく引用されるのもこの「無縫塔」の公案に由縁します。

唐の詩人、沈佺期(六五六?~七一三)に「古意」という詩があり、その一節です。

九月の寒砧かんちん 木葉を催うながす

十年の征戎せいじゅう 遼陽りょうようを憶おもう

白狼河はくろうがの北音書きたいんしょ断え

丹鳳城たんぼうじょうの南秋夜みんなみしゅうや長し

 九月の空は日ごとに寒さを増し、あちこちでトントンという砧きぬたを打つ音が聞こえて来ます。その音に連れてパラパラと木の葉が散ります。

夫は十年この方、辺境の地、遼陽に遠征したまま帰って来ません。遠い白狼河の北の地に居ると噂に聞くが、近頃は一通の手紙もありません。ここ長安城の南はなんと秋の夜が長いことでしょう。

このように、この句は辺境に出征している夫を慕う若妻の思いを歌ったものですが、その思いが大恩ある師を憶う心境に相通じるものがあるので禅家でよく使われるのです。

『朝日新聞』の「ひととき」の欄に「エンドウマメに哀歓」と題する大阪の橋本ひさえさんの投書がありました。紹介します。

毎年エンドウマメの季節になると、近所の方がもぎ立てを届けてくださる。……
四年前、エンドウが大好きな母に届けた思い出がある。二人で向き合って皮をむいた。
「お母さんの好きな味に炊いたら」と言うと、母はうれしそうにいそいそと炊き出した。突然、「えらいことをした」と言うので見ると、砂糖と塩を間違えたと言う。
私は急いで処理し、母はやがて甘辛い味のエンドウを炊き上げた。「おいしい、おいしい」と言って何度も食べた。
翌年母は入院した。私は柔らかいエンドウを薄味に煮て届けた。母はベッドの上で喜んで食べた。その年の六月、母は亡くなった。
あれから三年。またエンドウの季節が来た。新鮮さというお金で買えないぜいたくに感謝し、懐かしく、そして悲しいことを思い出しながら、一人でエンドウをむいている。(平成四年五月二十二日)

 橋本さんのこの思い、まさにお母さんの為の無縫塔ではないでしょうか。投書の末尾に古人にならって、「白狼河の北音書断え、丹鳳城の南秋夜長し」と著語したいものです。