夏目漱石は鎌倉円覚寺の名僧、釈宗演(1859~1919)について禅を学んだ経験があり、彼の代表作『吾輩は猫である』の中で哲学者八木独仙をしてときどき語らしめている言葉が、この「電光影裏に春風を斬る」の語です。
すなわち、何でも昔
しの坊主は人に斬り付けられた時、電光影裏に春風を斬るとか、何とか洒落れた事を云ったと云う話だぜ……。
鎌倉円覚寺の開山、仏光国師は名は祖元、別に無学と号し、いわゆる南宋の末期、モンゴル民族の元の中国征服が着実に進みつつある時代に生まれ、十余歳にして径山の無準和尚に弟子入りし、研鑚すること数年、ついに禅定ようやく熟して、師の法を嗣ぐに至ったのです。師の禅定の深さについては古来より評が高く、あるときなど、禅定に入ったまま、三日三晩、木仏の如く微動だにすることなく、ついにこれを見た僧たちは師が死んだのではないかと疑い、近くに寄って見ると微かに息をしていたので安心したという逸話も伝わっているほどです。
後に台州真如寺に住しましたが、南下した元兵が国土を蹂躙し、至るところで乱暴狼藉を働く噂を聞いて、温州能仁寺に難をのがれます。しかし、元軍の侵攻は急で揚子江を渡り、温州に攻め入り能仁寺にも乱入して来ます。一山の僧たちは逃げまどうけれども、無学祖元禅師、ただ一人踏み止まります。
禅堂にどっかと坐り禅定三昧に入って、泰然自若、動ずる気配もありません。群がり囲んだ元兵の一人が大刀を揮って、師の首に当て、「坊主!起て!」と怒鳴ります。そこで初めて禅定を出た禅師は、やおら、一円相を描いて静かに句を唱えます。
乾坤、地として孤筇を卓する無し
喜び得たり、人空、法も亦た空
珍重す大元三尺の剣
電光影裏に春風を斬る
さすがの乱暴者も師の挙動に圧せられて、振り上げた大刀を収めてそそくさと退散します。
「孤筇」とは中国四川省に存する竹の一種で、節は普通の竹よりも長く、内部は空洞ではなくて樹木のようになっており、よく杖に利用されることから、杖とか錫杖の意に用いられます。
――この広大無辺の大地も、ただ一本の杖を立てる余地もないほどにあなた方「元」の天下である。どこかに行けと言われても、どこへ行くこともできません。しかし、私は幸いに一切皆空の理を体得することができたので、執着するものとて何一つない、無一物の心境です。私を斬るというけれど、言ってみればその大刀も空、私も空。空で空を斬る、あたかも稲妻がピカリと閃く間に春風を斬るようなものではないか。さぞかし、手応えの無いことだろうよ!死ぬもよし、生きるもよし、どうぞご自由にこの老いぼれ坊主の首を斬りなさい!
やくざの男が強がりをいって、「さあ殺せ!さあ殺せ!」とわめいているのとは自ずと違います。
一切皆空の理。すなわち自分を含めて、目にうつるすべての物体が皆な実存するのではなく、いろいろな働きの関係の中にあるのであって、それを縁といいます。仮に寄り集まっているのに過ぎません。縁が尽きればまた分散してゆく、この現象を理論として了解するのではなく、実地に体験した一人の禅僧のぎりぎりの生死観が、この「電光影裏に春風を斬る」の語です。
私たちにも好むと好まざるとにかかわらず、「死」がやってまいります。「武士道とは死ぬことと見つけたり」と言われるように、「死」という現実に対してガップリ四つに組んで生きていくことが、真摯な生き方ではないでしょうか。
俳聖松尾芭蕉は、病床にあって、弟子たちが辞世の句を求めたのに対して、「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世、我が生涯の言い捨てし句々、一句として辞世ならざるは無し」と答えたといわれます。私たちも明日、否、今日にも死が突然やってくるかもしれません。今を大切にしたいものです。
因みにこの無学祖元禅師、母国、宋の滅亡に遭うや、直ちに日本に渡来し、時の執権、北条時宗を心血そそいで薫陶し、彼をして二度にわたり元軍を撃滅せしめたことを思うと、何か不思議な感じがします。