趙州従諗(じゅしゅうじゅうしん)(七七八~八九七)が黄檗希運(おうばくきうん)和尚(生没年不詳)の道場に行くと、黄檗和尚は方丈(和尚の住まい)の門を閉めてしまった。趙州は燃える炬火を持って法堂(説法のお堂)に入り「火事だ、火事だ」と叫んだ。黄檗は趙州を捉まえて「さあ、何とか言って見ろ」と迫ると、趙州が「賊過ぎて弓を張っても、遅すぎるわい」と言った話。(『伝灯録』巻十、趙州章)
問答の内容は、素人には何のことか分からないが、例によって禅僧同士の怖ろしい腹の探り合いである。この語は、「泥棒が逃げてしまってから、警察に電話」では間に合わんぞという意味でもあろうか。
『鉄笛倒吹』という語録集の六〇に、「覚め来たって了了として浮生を悟る」とあって、そのコメントに「遅八刻(ちはちこく)、夢中に夢を説く」などという語が出ているから、これもまた、夢から覚めてから世の中が浮き世だったと悟るようでは、間に合わないということであるらしい。
実際、私たちの周りには、「しまった、もっと早く気が付いておけばよかったのに」と、後で気がついても、もう取り返しが付かないことがよくあるものだ。いわゆる「覆水、盆に返らず」で、済んだことはどうにもならぬという奴である。『拾遺記』によると、周の太公望があまり読書に耽ったので、妻に離婚されてしまった。後に齊の国に封ぜられたので、先妻が再婚を求めると、太公望はお盆の水を覆し、この水を元のように盆に返せば受け入れよう、と言った故事らしい。
似たような話は、私たちの周りにはどこにもあるが、やはりあれは若気の至りであった、と後悔している人は、世に少なくないであろう。ことに思うのは、この頃の子供の教育についてである。「鉄は熱いうちに打て」などと言われるように、子供のうちにならば撓(ため)ることができる悪癖も、成年になってからでは「遅八刻」であろう。「後の祭り」という事もある。お祭りの済んだ翌日の山車(だし)には、もう用事はないということであろう。何事にも時機を逸してはなるまい。