中国元代の僧、晦機元熙(かいきげんき)(一二三八~一三一九)の詩の一節です。「人間(じんかん)」と読み、世の中、社会という意味で、「推枕」とは枕を押しやって、何のてらいもなくだらしなく寝ている様子をいいます。因みに晦機和尚は、自分の庵を「推枕軒」と称しています。「塞翁が馬」とは中国の古書『淮南子(えなんじ)』の「人間訓(じんかんくん)」にある話です。
中国の北と国境を接する異民族の国を胡(こ)といいますが、その胡の国と対した城塞(外敵の侵入を防ぐ為に設けられた小城)に、一人の老翁が住んでいました。ある時、翁の馬が逃げ出して胡の国に入ってしまいます。この地方では馬は欠かす事の出来ない生活必需品です。早速に近所の人々が慰めにやって来ます。すると翁は一向に気にとめる様子もなく、「この事が幸いな事にならないとはかぎらない」とニコニコ笑っています。すると数ヶ月後、この馬がどうしたわけか、胡の良馬を数頭つれて帰って来ます。近所の人々は今度はお祝いにやって来ます。しかし翁は喜ぶ風情もなく、「この事が禍(わざわい)にならないとはかぎらない」と云ってのけます。果たして、馬好きの子供が馬を乗り回し、そのうち馬より落ちて股の骨を折ってしまいます。足の不自由な息子を持った翁を憐れに思い、また近所の人々が翁を慰めにやって来ます。翁は、「いやいや、これが幸いにならないことがあろうか」と云って平然とかまえています。一年後胡人が城塞に攻め入ります。城の若者達は弓を引いて戦い、十人中九人まで戦死します。しかし、翁の子は足が不自由なため戦いに駆り出される事もなく、父子とも無事であった……。
古来、この話は世の中の吉凶禍福の転変が予測出来ないという、まったくの人生の偶然性を云おうとする故事として伝えられていますが、『淮南子』の云わんとする所は、この話の劈頭に、「夫れ禍の来たるや、人自ら之れを生じ、福の来たるや、人自ら之れを成す(それかのきたるや、ひとみずからこれをしょうじ、ふくのきたるや、ひとみずからこれをなす)」とある事から、その偶然性も皆、人間自ら招くものだという事ではないでしょうか。
それは仏教のいう「因縁説」そのものです。即ち仏教では何事でも最初に「因」があり、そこに「縁」が働いて、「果」が生じます。しかしその「果」がいつまでも「果」で終わるのではなく、それがまた「因」となり、「縁」が加わって「果」が出ます。「因」「縁」「果」が無限に循環して行くと説くのです。例えばここに豆の種子があります。これが「因」です。日光、空気、土、水、肥料などを加える。これが「縁」です。芽が出て実がつく。これが「果」です。縁の働き具合によって結果が大きく違って来ます。悪い因でも良縁が加われば良い果が得られ、良い因でも悪縁が加われば悪い果となります。このように仏教の説く「因縁説」は宿命的なものではありません。晦機和尚はその辺の消息を会得し、縁のままに生き、縁のままに死んで行く、そこに何の苦しみも悩みもなく、スカッとしていれば手足を自由に伸ばし大イビキで眠れるぞとばかりに、「推枕軒中雨を聴いて眠る(すいちんけんちゆうあめをきいてねむる)」と喝破したのです。この一句で「塞翁が馬」の故事を有名にしたともいわれています。私達もこの境涯を学び、大イビキで眠りたいものです。