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独来独去 無一随者 (大無量寿経) ひとりきたりひとりさりて
いちもしたがうものなし

『枯木再び花を生ず -禅語に学ぶ生き方-』 (細川景一著・2000.11.禅文化研究所刊)より

12月を表す季節の画像

「浄土三部経」の一つ『大無量寿経』にあります。

富有なれど慳惜(けんじゃく)し、(あく)えて施与(せよ)せず。宝を愛して貪ること重く、心労し身苦しむ。是の如くして竟りに至れば、恃怙(じこ)とする所無し。独り来たり独り去りて、一も随う者無し。

 慳惜とは、ものおしみする心。恃怙とは、頼む事です。
大金持ちだけれどもの惜しみが強く、あえて他の人に施与せず、財宝を愛して貪る心が強いと、かえって自分自身で心労が重なり苦しむものです。このようにして一生を過ごせば、死に臨んでも頼りにするものは何一つありません。独り来たり独り去りて、一も随う者無し。
所詮、私達は独りで生まれ、独りで老い、独りで病み、独りで死んでいかねばなりません。名誉も、財宝も、妻子眷族(けんぞく)も一緒に行く事が出来ないのです。
「菩提和讃」を思い出します。

老若貴賤も諸共に 無常の風に誘わるる
臨命(りんみょう)(じゅう)果敢(はか)なさは 施す術もあらばこそ
田畑数多(あまた)有とても 冥土の用には成ぬもの
金銀財宝持つ人も 携え()べき道ならず
妻子眷族(けんぞく)ありしとて 伴い行く事更になし
偕老(かいろうく)比翼の契いも 少時(しばしく)浮世の夢なれや

 人間はまさに「ひとり」です。私達は、その厳粛な事実と向かい合って、真実、自分の生き方に思いが及ぶ時、得てしてその事実から逃れようと腐心するものです。それから逃れようとすれば、享楽的な刹那主義に陥り人生の破滅です。私達はその事実をしっかり看て取って、自分自身の「生きがい」のある人生を見つけ出さなければなりません。
放浪の俳人、種田山頭火(一八八二~一九四〇)は、今、ブームをよんでいます。彼の束縛なき自由奔放な生き方が共感を呼んでいるようですが、その底流には自分の孤独と真摯に向かい合って、その孤独と戦う切実な思いがあるようです。それは一万句を超す俳句、感情のままに書いた日記、彼の無頼きわまりない行状でも納得出来ます。
彼は明治十五年の十二月、山口県の防府に生まれ、十一歳の時、母の投身自殺に遭い、大きなショックを受けます。東京に遊学して早稲田大学に入学しますが、途中退学し、父と共に酒造業を営みますが、酒蔵の酒が腐敗して、破産します。弟の自殺、祖母の死、父の死と続いて益々酒に溺れます。ついに熊本で泥酔して市電を止め、それが縁で曹洞宗の報恩寺で出家得度します。一旦観音堂の堂守となりますが、孤独に耐えきれず、行乞放浪の旅に出ます。

炎天をいただいて乞ひ歩く
ほろほろ酔うて木の葉ふる
いただいて足りて一人の箸をおく
しんじつ一人として雨を観るひとり

 放浪の旅に出て十五年、松山市の一草庵で、泥酔の中で頓死します。

 おちついて死ねさうな草萌ゆる

「独り来たり独り去りて、一も随う者無し」。山頭火もこの句に参じた一人です。