自分の力を発揮せよ
―鶴は飛ぶ千尺の雪、龍は起つ一潭の冰―(『圜悟語録』巻二)
圜悟克勤和尚(1063~1135)は問われた。「さあ、自分自身の本性から外れないような一句を言って見ろ(且く作麼生か是れ当処を離れざる底の一句)」と。そして自分から、「鶴は飛ぶ千尺の雪、龍は起つ一潭の冰」と詠われたという話。
有名な禅語だから採り上げたが、これは圜悟が自分の持つ凄いはたらきを、みずから詠われたもので、われわれ凡人にはとうてい及びも付かない。自分のハタラキは、「鶴が千尺も積もった雪原を蹴破って飛び立ち、龍が一面凍り付いた淵を突き破って天に昇るようなものだ」という圜悟の自負である。
禅僧はこのように「自信」ということを大事にする。自信の無いことを「信不及(しんとくぎゅう)」とか、「自救不了(じぐふりょう)」(臨済禅師の語)とか言って、禅の世界では落第である。
自分だけが持っている揺るぎない「個性」こそ大切で、これさえも自覚し得ない人間は、自分自身さえ救うことができない「自救不了」の落第生だと言うのである。
その反対は「信得及」であるが、言うまでもなくこれも、自信過剰ということであってはならない。自信過剰はいわば、ちっぽけな自分の殻に閉じ籠もろうとする自己満足にほかならないからだ。
千尺の雪を飛ぶとか、凍り付いた厚い氷を割って出るというような力を発揮する人間は、それまでにちっぽけなエゴの殻を破った者でなければならない。そういう人間には、時間空間の限定というものがないからである。
いわゆる底抜け人間とでもいうような、スーパーマンでなくてはならないのだ。