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白雲自去来 はくうんおのずからきょらいす

『白馬蘆花に入る -禅語に学ぶ生き方-』
(細川景一著・1987.7.禅文化研究所刊)より


09月を表す季節の画像

 「青山もと動かず 白雲自ずから去来す」(五灯会元)
 二、三日前も、新幹線の車窓から富士山を見る機会がありました。全容がくっきりと眼前に現われ、八合目あたりに白雲がたなびき、広々と拡がる雄大な裾野に圧倒されました。まさに、「青山元不動、白雲自去来」の消息です。
 「青山」といっても、何も青い山でなくてもいいのです。山は雨が降ろうが、風が吹こうが、泰然自若、堂々として動ずるところがありません。
 白雲が、どこからともなく湧き上がってきます。しかし、高い山だといっても、山に遮られることなく、東に西に、右に左に、上に下に自由自在に去来します。しかも、山は悠々として、少しも動じません。前句と後句を入れ替えて、「白雲自ずから去来すれども、青山元と動かず」と読めば、もっと意味がはっきりします。
 いつ、どこで、何をするにしても、万縁万境(ばんえんばんきょう)(周囲のいろいろな現象)に心をとらわれて右往左往することなく、山のように少しも動ずることなく、泰然としてわが道を貫き通せ、というわけです。

  人によく思われたい!
  変に思われたくない!
  いつのまにか見栄をはっているわたし!
  いつのまにか自分を失くしているわたし!  
  他人の目が気になる!
  どうして、こんなに!
  他人の目がきになるのだろう!

 どこかで読んだ詩の一節です。
 こんな面白い咄を聞いたことがあります。
 父と子の農夫が仕事を終え、馬を引いて家路につきます。通行人が彼ら親子を評しています。
「バカな人間だな。馬の背があいている。誰か乗れば疲れなくてすむのに」
と。それを聞いた息子は、なるほどと思い、父を馬に乗せて、今度は自分が馬の手綱を引いて道を急ぎます。その前方からきた通行人は、またすれ違いに、暗に父親を非難するように、
「かわいそうに、子どもも疲れているだろう」
と、ひとりごとをいいます。それを聞いた馬上の父はあわてて下へ降りて、遠慮する息子をむりやり馬の背に乗せ、代わって馬を引きます。しばらくしてまた数名の通行人が、こちらにやってきます。彼らは、この父子の姿を見て、あきれたように
「老いた父を歩かせて、いい若者がのんびりと馬の背にゆられている。世の中にはこんな親不孝者もいるんだなぁ!」
と。息子は恥ずかしそうに馬から飛び降りて父と相談をします。そして誰からも文句をいわれないようにと、親子二人仲よく馬にまたがります。今度こそ誰からも一言もいわれずにすむかと思っていたら、「大の男が二人も乗るなんて、何と残酷な人たちだろう。馬がかわいそうだと気づかないのだろうか!」と激しい痛罵(つうば)の声を耳にします。父と子は困り果てます。そして相談の結果、今度は二人して馬をかついで帰ります。人々はそれを見てびっくり仰天、やがて大きな声で笑いこけます・・・・・・。
 「青山元と動かず、白雲自ずから去来す」。じっくり味わいたい句です。