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一路涅槃門 いちろねはんもん

『無文全集』第五巻「臨済録・無門関」
(山田無文著・2004.1・禅文化研究所刊)より


02月を表す季節の画像

「乾峰和尚、因みに僧問う、十方薄伽梵(じっぽうばぎゃぼん)、一路涅槃門。未審(いぶかし)、路頭甚麼の処にか在る。峰、拄杖を拈起し画一画して云く、者裏に在り。後に僧、雲門に請益す。門、扇子を拈起して云く、扇子■跳(ぼっちょう)して三十三天に上り、帝釈の鼻孔を築著す。東海の鯉魚、打つこと一棒すれば、雨、盆の傾くに似たり。(以下略)」

(『無門関』第四十八則「乾峰一路」)

※■=足偏に孛。以下同じ。

乾峰和尚は洞山良价禅師の法嗣で、雲門も若かりし日に乾峰に随参したことがあると言われる。
  乾峰和尚、因みに僧問う
ある時、一人の僧が乾峰和尚に尋ねた。
  十方薄伽梵、一路涅槃門。未審、路頭甚麼の処にか在る
「薄伽梵」は、仏の「十方薄伽梵」で、三世十方の諸仏のこと。「一路涅槃門」とは、仏は無数にあられるが、涅槃に至る道、すなわち悟りの道はただ一つであるという意味である。こういう言葉が『首楞厳経』の中にあるが、三世諸仏の同じく悟りに入られたそのただ一線の路は、いったいどこにございますか、と質ねたのである。仏法のギリギリ決着の問題である。なかなか難問題であって、おそらく言葉をもって答えることのできぬ不立文字教外別伝の端的であろう。
  峰、拄杖を拈起し画一画して云く、者裏に在り
すると乾峰和尚は持っておった杖をグッと差し出して、空中にグーッと大きく一の字を書いて見せた。そして、「者裏に在り――ここにある」と答えられた。しかし、この僧、わかったであろうか。
  後に僧、雲門に請益す
その僧、後にまた雲門和尚を訪ねて、同じ質問をした。「十方薄伽梵、一路涅槃門。 未審、路頭 甚麼の処にか在る」。すると雲門は持っておられた扇子を差し出されて、
  扇子■跳して三十三天に上り、帝釈の鼻孔を築著す
この扇子がなあ、ぐーっと空中高く上って、須弥山のてっぺん、三十三天の頂に坐っておられる帝釈天の鼻の穴を突いたわい。そして、
  東海の鯉魚、打つこと一棒すれば、雨、盆の傾くに似たり
さらに太平洋の真ん中へ飛び込んで、一匹の鯉の頭をたたくと、たちまち太平洋の水を引っ繰り返したぐらいの大雨が降って来たわい。雲門和尚は、こう答えられた。
 乾峰和尚が、杖の先でグッと一字を引かれたところは、万法帰一、三界唯一心の境地、すなわち百尺竿頭を示されたものであろうかな。雲門和尚が扇子を捧げて、「扇子■跳して三十三天に上り、帝釈の鼻孔を築著す。東海の鯉魚、打つこと一棒すれば、雨、盆の傾くに似たり」と言われたのは百尺竿頭、一歩を進めて十方世界に全身を現じたところであろうかな。乾峰が絶対否定の立場で答えられたならば、雲門は全面肯定の立場で答えられたと言えようか。あたかも表と裏と言うか、陰と陽と言うか、全然立場の違ったところから答えられたのだが、どちらも路を錯ってはいないであろう。
 把定する時は、この「一」の字に圧縮され、放行する時は、十方世界が展開される。把定か放行か。乾峰と雲門が、それぞれの立場から、「一路涅槃門」の路頭を示されたのである。大死なくして蘇生はあり得ない。大死一番、絶後に蘇る。この一路こそ、十方諸仏の涅槃門である。