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寿如南山 じゅはなんざんのごとし

『雪月花つれづれ
(平田精耕著・1992.05 禅文化研究所刊)より


01月を表す季節の画像

「寿は南山の如し」と訓みます。お正月などの祝語としてこれを解説しましょう。
寿は、寿命と続けた語があるように、人の命を意味します。中国では、人の命は天から授かったものと考えられています。天によって定められた命を天明とか天寿とか称するゆえんです。私たち人間の生存は、すでに天の理によって定められた物です。
日本の民間信仰の中に、七福神というのがありますが、その一神に、福禄寿神というめだたい福神があります。これこそ人間だれしもが求める幸福を一句に表わしています。頭の長い、白髪を伸ばした老人の姿をしている南天の福禄寿を司る星の化身したもの、とされています。禄は財物を、寿は天寿を意味しています。
人間だれしも貧しいより富む方がよい。短命よりは長命を欲する。禅僧といえども財物を蔑視したり、短命を喜ぶものではありません。洞山曉聰(とうざんぎょうそう)禅師は「君子は財を愛す。之を取るに道あり」といわれました。聖人君子といえども財物を愛する。一円の銭(かね)を粗末にするものは、最後には一円の金銭に泣かねばならない。ただし「之を取るに道あり」といっておられます。ここのところが実は大切なのです。
むやみに金銭に執着して不法に金銭を取るのは君子のなすべきことではない。この執着さえなければ、財貨があっても一向にさしつかえがない。命についても全く同じことがいえます。むやみに生に執着してはならないが、しかし生への執着さえなければ天寿を全うすべく、健康に留意して長生きしようと願うことは禅僧といえども変わりはないのです。
南山は、西安の西南にそびえる終南山をいいます。この山は全山堅牢な岩石からなるゆえに、容易に壊れるものではありません。南山は従って「不壊」を意味します。また陰湿寒冷の北山に対して陽気温暖の山とも解釈されて、禅僧はこの語をよく用います。
「天寿極まりなし」という意と同時に、寿も南山もめでたさを表わす縁語につながるために、正月やおめでた事のあったときに、よく床の間に掛けられる軸物の語句となっています。