自分は死ぬと決まった
―去死十分―(『碧巌録』二十八則)
まだなすべきことが一杯あるのに、死が近づいていることが眼に見えてきたと当惑の語。残念ではあるが仕方がないと思いながら、誰しも後ろ髪を引かれる思いで鬼籍に旅立つほかはなかろう。しかしその日が来たとなれば、みんな自分で決着をつけてから、重い腰を上げなければならないであろう。
大田蜀山人に、「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつは堪らん」というのがある。諧謔の中にも、一抹の悲しみが漂う歌ではないか。冗談にしては深刻である。
『一休和尚年譜』の中に面白い話がある。一休さんが導師を頼まれて、堺の街へ檀家の葬式に行った。禅宗では葬式のとき、導師は引導香語を唱えると、燃える松明を棺に向かって投げることになっている。
一休さんは持っていた燃え盛る松明をポーンと後ろに向かって投げたというのである。弔いの人々は慌てて火の粉を振り払ったであろう。想像すると吹き出しそうになる一休さんらしい話ではないか。
一休さんにしてみれば、「他人事じゃないぞ、お前さんらも近々こんな熱い目に逢いますんじゃ」というお示しであったのだろう。
燃える火で思い出したが、われわれは死に臨んで、思い残すことがあっては無念であろう。できることなら「何も思い残すことは無い」と言って家人の手を握りたいものだ。そのためには、元気なうちに思いの丈を済ましておかなければなるまい。
薪の燻ぶったような後味の悪い死に方はしたくない。完全燃焼した薪が白い灰となり、西風とともにさーっとどこかへ飛んで行きたいのが私の夢である。