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放行也瓦礫生光 ほうぎょうすればがれきもひかりをはなつ

『無文全集』第六巻「六祖壇経」
(山田無文著・2004.1・禅文化研究所刊)より

11月を表す季節の画像

「印宗、説を聞いて歓喜合掌して言く、某甲の講経は猶お瓦礫の如し。仁者の論議は猶お真金の如し」(『六祖壇経』行由第一より)

 そういうことがなるほど『涅槃経』の中にありましたな。仏性は不二である、不二ということが分からなければ仏法というものは分からんのである。いや、恐れ入りました。私も『涅槃経』の講義を永らくいたしておりますが、私の講義などは、まるで文字の講釈をしているだけで、仏法は何にも分かっておらん。そこらの瓦のかけらや、石ころみたいに価直のないもの、まったくガラクタであります。あなたから今一言聞いただけでも本当に『涅槃経』がよく分かる。あなたのお説はまったく純金のようなものだ。
 禅語の中に「放行すれば瓦礫も光を生じ、把定すれば真金も光を失す」という言葉がありますが、これは味わうべき言葉であります。
 手につかむというと純金も光がなくなる、ほっとかしておくというと瓦のかけらでも光る。これは面白い言葉であります。把定するというのは、これは私のものじゃ、これが自分のものだ、ようやく手に入れたこれは大事な黄金だというて、その黄金にこだわって執着すると、黄金も光を失ってしまう、黄金らしくなくなってしまう。黄金というものに執着して捉われると、その黄金が本当の光を失ってしまう。それと反対に、放行すれば瓦礫も光を放つ。手から離す、執着を離れて所有感から離れて眺めると、瓦のかけらでも実に美しく見える、世の中はそういうものでありますね。
 まあ、ここでは黄金としてありますが、黄金でなくっても骨董品でもご婦人の好きな着物や指輪とか、そういうものでも、デパートに陳列してあると実にすばらしいもので、欲しくて欲しくてもう何をおいても欲しくなるのでありますが、それをお金を出して買いこんでしばらく使ってみるともうそれほどの価値がなくなる。それほど結構な物ではなくなる。他所に掛けてあると実に立派なものだと思ったのが、自分の家の床の間に掛けて毎日見慣れて来ると、ちっとも有難くなくなってくる。しかし自分の物でない、そういう欲を離れて眺めるというと、つまらん物でも美しく見えて来る。欲が物の価値を汚すと申しますか、捉われを離れるというとすべてが美しく見える。