「花簇々錦簇々」(『碧巌録』第12則「洞山麻三斤」頌)
【頌】花簇々、錦簇々、南地の竹、北地の木
洞山に、「麻三斤」と答えられた僧が、智門和尚のところへ行って、
「洞山麻三斤と道う意旨如何――洞山和尚は麻三斤と答えられたが、これはいったいどういうことでござりますか」
と尋ねたところ、智門和尚は、
「花簇々、錦簇々、会すや」
と答えられたのである。これもありのままの世界をありのままに見た言葉である。見渡すかぎり花いっぱい、紅葉いっぱいじゃ、と。しかし、その花は刻々と動いて行く、紅葉は刻々と散って行くのである。動くものの中、散るものの中に永遠なる仏を発見しなければならん。智門和尚、そう答えられたのだが、僧には何のことやらサッパリ分からん。
「不会――分かりません」
と答えると、智門和尚、
「南地の竹、北地の木」
と答えられた。南方の温かい地方では竹がよく茂り、北の寒いところでは木がよく茂ると。これもありのままだ。仏という無形のものを表現するのに、有形のものをもって答えておるのである。智門はそう答えられたのであるが、その智門の言葉をここにもって来ているのである。