禅語

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一口吸盡西江水 いっくにきゅうじんす さいこうのみず

『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』
(西村惠信著・2010.07 禅文化研究所刊)より

08月を表す季節の画像

大河の水を呑み尽くす
―一口に吸尽す西江の水―(『馬祖録』)
龐居士が馬祖道一禅師に質問した。「世界のあらゆる存在と与しない、独立自存の人とは、いったいどのような人ですか」。冒頭の禅語は、その質問に答えた馬祖の語。「お前が西江の水を一口に飲み尽くしたら、それを教えてやろう」ということ。

 禅は独脱無依の絶対主体性を確立することである。自分以外の一切のものと与しないような完全に自立した人間になることである。そういう人間なら、西江という大河の水を一口に飲むことができなければならない。もちろんこれは譬えであって、百年待ってもできる話ではない。
 昔、札幌農学校の校長としてアメリカからやってきたウィリアム・クラーク博士が、「少年よ、大志を抱け」と言われたのは有名な話。聞いていた農学校の生徒たちは、みな北海道開拓の夢を抱く将来有望な少年であったであろう。
 先日ラジオで、太平洋を何回もヨットで単独横断した堀江謙一さんの肉声を聞いた。ビール樽で作ったヨットで西宮からサンフランシスコまでを横断するのだから、この人こそまさに西江の水を一口で飲み尽くす人ではないかと思った。
 数週間の後、今度は女性で初のエベレスト登頂に成功した田部井淳子さんの対談を聴いた。彼女は小学校四年生で那須連峰に登ったのが、登山家を志すモチベーションになったという。結婚してもなお、生後間もない赤ん坊を主人に托して、死を覚悟で七大陸の最高峰の制覇に出かけて行ったとか、登山中に乳癌に気づきながら、重い酸素ボンベを背負って登山を続けたとかいう話。更には六十二歳で九州大学の大学院に入学して、「エベレストとゴミの問題」を研究したという話など、人間やればやれるものだと、すっかり感心した。両者とも一九三〇年代後半の人で、私とわずか五歳年下の老人なのだ。