禅語

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初發心時便成正覺 しょほっしんのとき たちまちしょうがくをじょうず

『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』
(西村惠信著・2010.07 禅文化研究所刊)より

04月を表す季節の画像

結果は最初から決まっている

ー初発心の時、便ち正覚を成ずー(『華厳経』)
始めから成果を求めて仕事を始めると、何ひとつ成功しない。とにかく結果は後回しにして、他のことはすべて放棄し、与えられた仕事と取り組めば、その時点で、成功はすでに決まってしまっているのだ。

 どんなことでも、人に言われて嫌々したのでは、自分も面白くないし、ろくでもない結果にしかならない。逆に、自分がしたいと思って始めたことには、どんな困難なことでも張り合いがあるし、とうぜん結果は上々に決まっている。
 宗教の世界でも同じこと。人に勧められて始めてみたり、何かよいことでもないかというような俗心から入信してみても、人生が変わるようなことは起こらないに決まっている。自分から深い求道心をもって入った道は険しくとも、必ず深い喜びが待ち受けているのだ。
 禅仏教は、そういう意味で普通の宗教とだいぶ変わっている。宣伝や勧誘で人を誘うどころか、求めて入門して来る者を、追い返すのである。専門道場では一週間もかけて入門のための試練を課す。いわゆる動機不純な人間の篩い落としである。いくら牛を川辺に引っ張ってきても、水を呑ませることまではできまい。渇きを覚えた牛は、みずから川辺に来てみずからゴクゴクと水を呑む、というのが狙いである。