山中、暦日無し、寒尽きて年を知らず
明朝、三十九、
影を抱いて、臥すこと遅遅(ちち)たり。
灯は暈(くら)くして、油の尽くるに驚き、
炉は寒うして、歳の移るを覚ゆ。
孤猿、啼くこと幾度ぞ、
飢鼠、走ること時無し。
詩は罷(や)んで、神思廓(はる)かに、
個中、只だ自ら知る。
正保3年(1646)、一絲文守(いっしぶんしゅ)が永源寺の含空台で迎える3度目の除夜である。一絲はその翌年の3月19日に入寂する。はからずも、この詩は一絲の辞世となる。
此の閑房を借りて、恰(あた)かも一年、
嶺雲渓月、枯禅に伴う。
明朝、下らんと欲す、巌前の路、
また何(いずく)の山の石上に向(お)いてか、眠らん。
開山寂室の、こんな人となりを慕うて、永源寺に来た一絲である。来るを拒まず、往くを追わぬ気分が、すでに個中のものになっていた。
もともと、一絲は唐の大梅法常(だいばいほうじょう)に学んで、丹波に大梅山法常寺を開く。法常は、洪州馬祖につぐ大弟子の一人だが、天台山の一峰をなす大梅山に隠棲し、終に世に出ることがなかった。偶然に路に迷うて、その草庵に来た僧の問いに、ただ四山の青んでまた黄ばみ、黄ばんでまた青むのを見るだけの、40年であったと答える。
夜は日の余り、冬は歳の余り、老いは生の余りである。39歳の一絲には老いといえるものがなかったが、一日一日が除夜であった。唐詩選に収める太上隠者の作にいう、山中、暦日なき一生であった。すくなくとも寒尽きて知らぬ隠者であった。