生きている限り煩悩だらけ
―猶お是れ 生死岸頭の事―(『碧巌録』四則)
生死の岸とは迷いの世界のこと。彼岸は悟りの世界。一日も早く此岸から彼岸に渡らなければならないが、悟ったと思っていても依然として迷いはつき纏うということ。
若い頃『迷いの風光』という本を上梓した。これを書物として出版するとき私は、宗門から少しは批判を蒙るであろうと覚悟していたが、何らの誹謗中傷もなかったのは意外であった。それどころか無名の人から、こんな手紙をもらった。
自分は若いときから参禅を続けてきたが、一度も悟ることができず情けなく思っていたが、先生の本を読んで、迷いもまた捨てがたいものと知って、始めて安心したというのである。
もちろん、いうところの迷いの雲は、一刻も早く払わなければならない。しかし悟りを開けば人生がスッキリして、悩みがなくなってしまうというものでもなかろう。悟りにも「有余涅槃」と「無余涅槃」とがあるのだ。
悟った人でも美味しいものは口にしたいし、綺麗な人を見ればうっとりするだろう。まだ煩悩がいっぱい残っているから、「有余涅槃」(煩悩の残っている悟り)という。「無余涅槃」は死ぬことである。死んでしまったら、どんな人間ももう煩悩のない仏さんだ。有り難いことにこの国では、どんな悪人でも死んでしまったら「成仏」である。
かといって迷いを勧めているのではない。自分の煩悩に気づき、それを恥じつつ、それを慈しみながら、慎み深く生きるのである。そこに謙虚に生きる人間だけの美しさが光る。