禅語

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滴水滴凍 てきすいてきとう

『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』

(西村惠信著・2010.07 禅文化研究所刊)より

12月を表す季節の画像

落ちるごとに凍る水滴

 ―滴水滴凍―(『伝灯録』十七、白水本仁章)

寒い冬の朝、懸樋を伝ってポトリポトリと落ちる滴を見ていると、一滴ごとに凍てついていく。そのように人間も一瞬一瞬を、引き締めつつ生きなければならないということ。

もう三十年も前、種田山頭火を世に紹介した大山澄太さんが、「自分はいつも歩くときは、木魚を叩くように、一歩一歩大地を踏みつけて歩く」と書いていた。
 この頃、朝の散歩が習慣となった私は、いつもこのことを思い出して、ぶらぶら歩きをしないように心がけている。そうでなくてもこれが身体によいのだと、肝に銘じて歩くことが健康によいという。
 人生の道も一歩一歩を踏みしめて歩けば、漫然として日を過ごすよりも、はるかに充実したものになるであろう。どんなに長い人生も、一歩一歩の連続であって、ひとときも切れ目はないのだから。
 徳川期の禅僧白隠は「独り按摩」という健康法を説いているが、その「最後の一訣」でずばり、「長生きとは長い息なり」と書いている。九十七の長寿を生きた妙心寺の古川大航管長は人から長生きの秘訣を聞かれて、「ただ息をし続けてきただけだ」と言われた。まことに人生の根本は、この一息から始まるということだ。だから一息一息が決して疎かな一息であってはならないのだ。
 ベトナムの禅僧でノーベル平和賞候補のティクナット・ハーン師は、人々に「マインドフルネス」という瞑想法をさかんに勧めている。この瞑想法は二千年の昔からタイやベトナム、あるいはスリランカなどの仏僧院で実践されてきたもの。日常動作の一瞬一瞬に心を集中させる瞑想法で、いま認知療法の有効な手段として、盛んに応用されているという。