「今、此処にいる素晴らしさ」
―独坐大雄峰―(『碧巌録』二十六則)
僧が百丈懐海和尚にむかって、「如何なるか是れ奇特の事」(この世の中で、最も素晴らしいことは何ですか)と尋ねた。すると百丈は「独坐大雄峰」(この百丈山にこうしてどっかりと坐っていること)と答えた。
もし誰かがあなたに向かって「この世で最も素晴らしいことは何か」と聞いてきたら、あなたは何と答えるか。もとより人それぞれに答えは違うであろう。なぜならば「価値観」が、人によって異なるからである。
ある人は「お金持ちになることだ」と言うであろう。ある人は「とんでもない、金なんかいくらあっても、死んでしまったらお仕舞いだ」と言う。ある人は、「人は死んで名を残すというではないか。後世に名を残すことだ」と言って名誉を重んじる。
しかし、これらのことはすべて、現実に元気で生きているということがあって、初めてできる話であろう。病いの床に臥したり、死に臨んでしまった人にとって、何程の価値もないものだ。
するとやはり一番大事なことは、地位でも名誉でも、また財産でもない。それはなんといっても、今ここにこうして元気で生きていることであろう。にもかかわらずわれわれは日常、この素晴らしい「事実」に気づかず、何かもっとよいことはなかろうかと、明けても暮れても右往左往している。何という愚かなことであろうか。
人から「お金持ちですね」と言われたり、「あなたは立派に出世された偉い方ですね」などと言われて「有り難う」と返すのはどこかおかしい。しかし、「あなたはお元気ですね」とか、「お若く見えますね」などと言われたら、胸を張って「有り難うございます」とか「お陰様で」とか言うべきである。元気で有ることが難しいから「有り難し」であり、老いやすいものが若々しいのは「有り難い」からである。