「世間に通用する人間たれ」
―門を閉じて車を造り、門を出でて轍に合す―(『伝灯録』十七、潭匡悟章)
「門を閉めて世間に出ることなく、家に閉じこもって自分の考えで大八車を造った。できあがってからその大八車を門前の道に引っ張り出してみると、前に通って行った車の轍にきちんと合っていた」という意味。専一に自己を追求し、坐禅修行に勤しんでいたときは、世間とは一切無縁であった。いま修行が完成して祖師の語録を読むと、自分の到達した悟境は、祖師たちの示している悟境と、ぴったりであったという歓びの語。
われわれは自分の城に閉じ籠って自己満足ばかりしていると、そのうち世間知らずの「独りよがり人間」になって、世間からの笑い者になるだけである。独力で会社を立ち上げたようなワンマン社長などは、どうしても自分に苦言を呈するような人間を遠ざけようとする。こうして周りに残るのは、無責任な太鼓持ちばかりとなるであろう。
アンデルセンの『裸の王様』は、そういう馬鹿人間を諷刺した作品である。王様は詐欺師に騙されて、馬鹿には見えないという不思議な服を注文し、でき上がってみると自分には見えないのに、なるほど美しい服だと見栄を張り、家来もまた自分には見えないのに、立派な服ですねと言って王様におべっかを使い、街へパレードに出かけていって人々に笑われる話である。
京都大学のさる著名な先生が自分の研究室で、自分の靴を馴れぬ手つきで荷造りしておられた。門下生が訝しく思い、「その靴をどうなさるのですか」と尋ねると、「この靴はドイツのハイデルベルクで買ったものだから、面倒でもその店に修繕に出さなくてはならぬ」と言われたという。「学者馬鹿」という語の出拠ではなかろうか。
孔子は「七十にして己れの欲するところに従って、矩を踰えず」と諭されている。自分が思うように毎日を自由奔放に生きて、しかもそれが世間の常識を外れないようでなければならないという、門人への教訓であろう。