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万法斉観 ばんぽうひとしくかんず

『愛語 よい言葉をかけて暮らそう ―山田無文老師説話集―』

(2005.11禅文化研究所編・刊)より

08月を表す季節の画像

仏性というものは人間の中から引き出すものです。悪いやつを処罰せよというのは法律であり、悪いやつをよくしていくのが宗教です。こちらが平等な眼で相手を見ていくならば、悪いやつが自然によくなってきます。根性のひん曲がったやつも自ずと正しくなってまいります。これがすなわち宗教というものなのです。

 徳川時代の名僧盤珪禅師が、ある所で一会結制をされると、その中にどろぼうをする雲水が一人まざっておった。何百人かおる中に一人がおった。役寮の者はたいがい古い雲水で皆の顔を知っておりますから、「今回の結制には盗人が一人おります。ちょいちょい事件が既に起こっておりますので、あれを追放したいと思いますが」と言って盤珪禅師に相談をした。
 盤珪禅師は黙って返事をなさらん。たびたび申し上げるけれども、いっこう取り合っていただけんので、「あの手癖の悪い雲水を出していただけんのならば、責任上われわれが出ていきます。われわれ役寮の者はもうこの結制は勤まりませんから、おいとましたいと思います」、こう言って掛け合った。
 すると盤珪禅師が、「そうか、そりゃやむを得ん。おまえさんたち出ていってくれ。おまえさんたちは立派な満足な人たちだから、どこへ行っても修行ができる。ああいう癖の悪いのはよそではどこへ行っても置いてくれんのだ。せめて衲の所で置いてやらなければ一生修行ができんのじゃ。衲はあの男を引き受けるから、おまえさんたち出ていってくれ」と言われた。そう言われてみれば役寮の者も出ていくわけにはいかんから、仕方なしに黙って引き下がった。
 いつとはなしにそのことがこの手癖の悪い坊さんの耳に入って、「すまん。それほどまでに老師はわしのことを思って下さっとったのか。申し訳ない」と非常に懺悔をして、それほどまでに大和尚が私のことを思っていただけるならというので、すっかり改心をしてよくなったという逸話があります。こういうふうに、よいものがあるからそのよいものを引き出すのが教育であり、道徳を教えるということだと思います。仏性というものも人間の中から引き出すものであります。
 悪いやつを処罰せよというのは法律であり、悪いやつをよくしていくのが宗教です。その、悪いやつを善人に立ち返らせるのは、こちらの心に差別がないからです。盤珪禅師の心に差別の念がありませんでしたから、盗人の雲水が感激して後悔し、改心したのであり、これが「帰復自然」ということであります。
 『涅槃無名論』という、鳩摩羅什の弟子で、理解力第一と言われた僧肇という中国僧の書いたお経の解説の本に、「有無斉しく観ずれば、彼己隔て無し」とありますが、悪いやつが本心に返ってくる、間違ったやつも正しくなってくるのは、「万法斉しく観ず」るからです。こちらが平等な眼で相手を見ていくならば、悪いやつが自然によくなってきます。根性のひん曲がったやつも自ずと正しくなってまいります。これがすなわち宗教というものなのです。