禅語

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三人同行、必有一智 さんにんどうこうすれば、かならずわがしあり

『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』
(西村惠信著・2010.07 禅文化研究所刊)より

09月を表す季節の画像

―三人同行すれば、必ず吾が師有り―(『碧巌録』六十九則)

この世界に朋友ほど善きものがあるだろうか。ことに苦しい修行の道を歩む修行者同士は、「道友」として互いに切磋琢磨する仲間である。そういうときお互いは友であるとともに、お互いにとっての師でさえあるのだ。

多くの友達に恵まれている人もあれば、孤独を愛して自分一人で行動している人もある。それはその人その人の個性によることで、どちらが望ましいというものではないであろう。ただ、個性の違う友人を幅広く持つことによって、自分の生き方についての広い視野が開かれることは、間違いのないことだ。
友人の見せる個性ある行動や、何気なく口にする言葉の端々に、思わずハッとさせられるとき、自分自身のなかに今まで知らなかった新しいものの考え方が芽生え、知らず知らずのうちに人間性が深まっていくのである。
「切磋琢磨」ということは、一つのものでも多くのものと擦れ合うことによって、お互いが自然に磨かれていくということである。どんな素晴らしい宝石も、ただそれだけでは、磨かれて光を発することはないであろう。
禅の語に、「石中に火有り、打たざれば発せず」というのがある。冷たい一箇の石も、火打ち石のように二つを打ち当てれば、火が出る。その火はやがて世界をも焼きつくすようなエネルギーである。ただ放置しておいただけでは路傍の石に過ぎまい。自分の師であるような友を持つことは、人間となるために是非とも必要なことだ。