禅語

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外於一切善悪境界 心念不起名為坐 内見自性不動名為禅 そと、いっさいぜんあくのきょうかいにおいてしんねんおこらざるをなづけてざとなし、うち、じしょうをみてふどうなるをなづけてぜんとなす

『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』
(西村惠信著・2010.07 禅文化研究所刊)より

11月を表す季節の画像

―外、一切善悪の境界において心念起こらざるを名づけて坐と為し、内、自性を見て不動なるを名づけて禅と為す。―(『六祖壇経』)

外界にどんなことが起こっても心を動かさないことを「坐」といい、内に向かっては自分とは何かということに心を集中することを「禅」という。坐禅は三千年の昔に起源を持つという。限りある自分のいのちを、いちど、この長い人類の遺産に浸してみてはどうであろうか。
坐禅の「坐」は当用漢字にないが、やはりどうしても「坐禅」と書かなければなるまい。なぜならば「座」は銀座とか座敷とか、いずれも場所を示す名詞であるが、坐は自分で決意して「坐る」主体的行為を表わす動詞であるからだ。
白川静の『字統』によると、坐るという字は、土の上で人と人が向かい合っている姿を示しているとある。とにかく坐禅はいちど自分で坐ってみることから始まるのである。朝早くでも夜遅くでもよい。座布団を二枚持って、壁か襖に向かって坐る。一枚の座布団は二つに折って尻の下に置くと、坐り心地がよい。
はじめに「身体を調える」。靴下を脱いで裸足になり、まず胡座を組むように坐り、静かに右の脚を左の股の上に付け根まで引きつけよう。さらに左の脚を右の脚の上に載せて右の股の付け根まで引きつける。これを「結跏趺坐」という。できない人は片方だけでもよい。これも「半跏趺坐」という正式な坐り方である。
次に「呼吸を調える」。なるべく下腹に届くような長い息を、ゆっくり静かに吐き、また深く長い息を、静かに吸い込む。吐いて吸い込むまでを「ひとーつ」と数える。十まで数えたら、また「ひとーつ」に戻る。これを繰り返すのが「数息観」という初心者向きの調息法である。
そのうちに心が落ち着いてくるはずであろう。これを「心を調える」という。これが坐禅の三原則(調身・調息・調心)。さあ、さっそく実践してみよう。

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