―至道は無難、唯だ揀択を嫌う―(『信心銘』)
仏の説く道は決して難しいものではない。世界中のすべてのものを、唯だありのままに見ればよいのだ。既にそのままで完璧であるものに是だ非だ、善だ悪だ、美だ醜だというように選択をすることがいけないということ。
人間が猿と異なる点はいくつかある。たとえば二本脚で歩行する、文字を書く、火を知っている、など。なかでも人間が鏡を持つことは、際立った人間の特徴といえよう。子供のうちは鏡を持たないが、高校生ぐらいになると女の子たちは、鞄の中に鏡を入れて自分の顔をのぞき込み、お化粧をする。二十歳を「成人」(人に成る)とするゆえんであろう。
鏡に映る顔は「現実」の姿である。化粧するための手は「理想」の顔を作ろうとする心の命令に従って動く。つまり人間には「有限」な身体と「無限」を求める精神とが同居しているわけである。
したがって人間は、本来的に矛盾する存在である。だから人間には迷いや苦しみが伴うのである。たとえば家屋という建物は、理想とする設計図を書き、それにしたがって現実の家を建てる。だからでき上がった現実の家は理想と一致している。
人間の場合はそうではない。生まれたとき現物ができあがっている。それに満足できないから、やがて理想に近づけたいと思うようになる。現実はあまりにも本質から外れている。
動かし難い自分の現実を、どうして理想に近づけるかという問題は、人間にとっての難しい課題である。人間はこうして、本質的に苦悩を伴う存在なのである。
そういう苦しみから脱却するには、理想を追うことを止めて現実を見つめるに如かずであろう。現実そのままの中に素晴らしいものを発見すること、それが禅の教えである。