妄想する莫かれ! と読むことができますが、「莫妄想」と端的に読む方が禅的です。
「無業の一生、莫妄想」といわれるように、無業和尚(760~821)は一生涯、誰が何を尋ねても、「莫妄想」で押し通したといわれています。「妄想無き時、一心是れ一仏国」。すなわち、妄想を断ち切ってしまえば、それがそのまま悟りの心境です。「莫」とは、なかれのことで、禁止の意味を表わします。「妄想」とは、一般的には実体のない虚妄の想念のことで、色気、食い気、欲気などの邪念、空想、迷心を意味しますが、禅ではもう少し深く考えます。
私たちは、常に、生死、善悪、是非、勝敗など、二つの相対する概念を作り出し、その一方に執して苦しみ、迷うのですが、この二つに分けて見る相対的な分別心そのものが、すでに妄想というのです。故に莫妄想とは、生死、善悪、是非になり切ってやって行け! というわけです。“莫かれ”という消極的な言葉に反して、より積極的に、生死、是非、善悪、勝敗などにこだわることなく、全身全霊を挙して一心不乱にやり貫けというのです。「よく学び、よく遊ぶ」といいますが、勉強のときは勉強一途に、遊ぶときはただ遊ぶだけ、そのものになり切っていくことです。
江戸時代、広島の尾道の済法寺に住した物外和尚(1794~1867)は、腕力絶倫のため拳骨和尚と呼ばれた人ですが、あるとき、藩主から呼ばれて入城します。藩主の病は重く、臨終の時が迫っています。藩主は、懐から辞世の一句を認めた短冊を出して和尚に見せます。
花は根に帰ると聞けば我もまた 生まれぬさきの里に帰らん
――花は散っても根に帰るといわれる。私もいよいよ死が近づいてきたようです。死んだら、和尚が言っていた生まれぬさきの里、すなわち本来の自己、父母未生以前の消息へ帰って行きます――。
物外和尚、一読して頷くかと思いきや、いきなり短冊を放り出して大声で叱咤します。
「この期に及んで何を妄想をかいているのだ! 歌なんぞクソ妄想だ! 黙ってさっさと死んでいけばいいのだ!」
これを聞いた藩主、ニッコリ笑って頷き、静かに息絶えたといわれています。
物外和尚は藩主に、死ぬときは“死”一枚、莫妄想、すなわち余計なことは考えないで死んで行けと教えたのです。
お互い、私たちはあまりに執らわれることが多くて、なかなか一途というわけにはいきません。金、地位、名誉、立場、主義等々への妄想を断ち切って、自由自在に生きたいものです。
莫妄想! 莫妄想! 莫妄想にこだわればまた、これ妄想です。