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莫妄想 まくもうぞう

『白馬蘆花に入る -禅語に学ぶ生き方-』
(細川景一著・1987.7.禅文化研究所刊)より

05月を表す季節の画像

 妄想(もうぞう)する()かれ! と読むことができますが、「莫妄想(まくもうぞう)」と端的に読む方が禅的です。
 「無業(むごう)の一生、莫妄想」といわれるように、無業和尚(760~821)は一生涯、誰が何を尋ねても、「莫妄想」で押し通したといわれています。「妄想無き時、一心(いっしん)是れ一仏国(いちぶつこく)」。すなわち、妄想を断ち切ってしまえば、それがそのまま悟りの心境です。「(まく)」とは、なかれ(・・・)のことで、禁止の意味を表わします。「妄想(もうぞう)」とは、一般的には実体のない虚妄(こもう)想念(そうねん)のことで、色気、食い気、欲気などの邪念、空想、迷心を意味しますが、禅ではもう少し深く考えます。
 私たちは、常に、生死、善悪、是非、勝敗など、二つの相対する概念を作り出し、その一方に執して苦しみ、迷うのですが、この二つに分けて見る相対的な分別心そのものが、すでに妄想というのです。故に莫妄想とは、生死、善悪、是非になり切ってやって行け! というわけです。“()かれ”という消極的な言葉に反して、より積極的に、生死、是非、善悪、勝敗などにこだわることなく、全身全霊を挙して一心不乱にやり貫けというのです。「よく学び、よく遊ぶ」といいますが、勉強のときは勉強一途に、遊ぶときはただ遊ぶだけ、そのものになり切っていくことです。
 江戸時代、広島の尾道の済法寺に住した物外(もつがい)和尚(1794~1867)は、腕力絶倫のため拳骨(げんこつ)和尚と呼ばれた人ですが、あるとき、藩主から呼ばれて入城します。藩主の病は重く、臨終の時が迫っています。藩主は、懐から辞世(じせい)の一句を(したた)めた短冊を出して和尚に見せます。
花は根に帰ると聞けば我もまた 生まれぬさきの里に帰らん
――花は散っても根に帰るといわれる。私もいよいよ死が近づいてきたようです。死んだら、和尚が言っていた生まれぬさきの里、すなわち本来の自己、父母未生(みしょう)以前の消息へ帰って行きます――。

 物外和尚、一読して(うなず)くかと思いきや、いきなり短冊を放り出して大声で叱咤(しった)します。
 「この期に及んで何を妄想をかいているのだ! 歌なんぞクソ妄想だ! 黙ってさっさと死んでいけばいいのだ!」
 これを聞いた藩主、ニッコリ笑って頷き、静かに息絶えたといわれています。
 物外和尚は藩主に、死ぬときは“死”一枚、莫妄想、すなわち余計なことは考えないで死んで行けと教えたのです。
 お互い、私たちはあまりに()らわれることが多くて、なかなか一途(いちず)というわけにはいきません。金、地位、名誉、立場、主義等々への妄想を断ち切って、自由自在に生きたいものです。
 莫妄想! 莫妄想! 莫妄想にこだわればまた、これ妄想です。