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説似一物即不中 (五灯会元) せつじいちもつそくふちゅう

『枯木再び花を生ず -禅語に学ぶ生き方-』
(細川景一著・2000.11禅文化研究所刊)より

07月を表す季節の画像

 六祖(ろくそ)慧能(えのう)禅師(六三八~七一三)の法を嗣いだ人は大勢いますが、中でも青原(せいげん)行思(ぎょうし)禅師と南嶽(なんがく)懐譲(えじょう)禅師の法は永く伝えられ、青原下は曹洞宗に、南嶽下は臨済宗へと展開していきます。その南嶽懐譲禅師が六祖の下に入門した時の問答です。
 六祖が尋ねます。
甚麼(いずれ)の処より来たる――何処(どこ)から来た」
嵩山(すうざん)より来たる――ハイ、嵩山から来ました」
甚麼物(なにもの)恁麼(いんも)に来たる―― 一体何がそのように来たのか」

 懐譲(えじょう)禅師はグッとつまります。「懐譲」と云っても、それは所詮、名前です。名前のない素裸の肉体の自分なのか、これもまたつきつめれば糞袋(くそぶくろ)にすぎない。
 ではその肉体をあやつるものと云えば「心」なのか、「心」とは一体何なのか、疑問が疑問を呼び、「自分とは一体何なのか!」といよいよ突き当たります。この大きな疑問の解決を求めて、六祖の下で修行に修行を重ねます。「甚麼物(なにもの)恁麼(いんも)に来たる」の一事です。
 かくして八年、ある日忽然(こつねん)として悟る処があり、早速に六祖に参じます。
 「(せつ)()一物(いちもつ)(そく)不中(ふちゅう)――説いて一物に似たるも即ち中たらず」、何と説いてもそれはにせものであって、本当の処には的中しません、届きません。それは決してごまかしではありません。懐譲禅師は「物」をしっかりと把握したのですが、それはどんな言葉をもっても表現出来るものではなかったのです。ゆえに「説似一物即不中」と云うよりほかなかったのです。六祖はこの答えを聞いて、「(なんじ)(てつ)せり」と許します。
 何と云っても説明出来ない処、そこに至った人のみが知る消息なのです。何事でも「道」という以上、他人に説明しつくす事の出来ない消息はあるものです。そこには自分の努力で納得する以外、会得する方法はないのです。
 文楽の人形遣いの吉田蓑助(みのすけ)さんの苦労話を読みました。
 文楽は大夫(たゆう)、三味線、人形の三位一体で成り立つが、その中の人形遣いもまた三位一体の芸である。
 人形遣いは、ふつう一体の人形を、主遣(おもづか)い、左(づか)い、足(づか)いの三人で遣う。
 主遣いは左手で人形の胴串を持ち、首を動かしながら右手で人形の右手を持つ。
 左遣いは、人形の左手の差し金を遣う。
 足遣いは、人形の足を動かす。
 「足遣い十年、左遣い十五年」という言葉があるように、足遣いと左遣いを合わせて二十五年くらいやって初めて、主遣いとして人形を動かすことができる。
 人形遣いの道は厳しい。父親がどんな名人であっても、それで子供が優遇されることはない。足遣い、左遣いの間は黒衣(くろご)をまとい、顔には頭巾(ずきん)、手には手袋、足には黒足袋の、黒ずくめの裏方の存在である。……
 大夫には床本、三味線には朱譜とよばれる一種の譜面があるが、人形遣いは全部自分の目を通して見て覚える。先輩の芸風、することなすことすべて盗んで覚えてゆく。
 書こうにも書きあらわせない、言葉ではとうてい教えきれない微妙な間、呼吸、動作などを黒衣(くろご)の時代に体得してゆく。そして主遣(おもづか)いになってはじめて、舞台で黒紋付と袴が許され、お客様に顔が出せるのだ。(高田都耶子『名師の訓え』講談社参照)
 「書こうにも書きあらわせない、言葉ではとうてい教えきれない……」、この道にも、「説似一物即不中」の奥深いところがあるようです。