勝利の感想を聞かれたスポーツ選手が、「無心で打ちました」「無心で走りました」「無心で戦いました」と答えているのをよく耳にします。恐らくこの選手たちは血の涙、玉の汗、鍛錬に鍛錬を重ねてやっと勝ち取った勝利でしょう。何事も一朝一夕にできるものではありません。
近頃、一般の人々を対象にした坐禅会があちこちで開かれています。参加した人々は口々に、「脚が痛い」「無心になれない」とじきに泣きごとを言い出します。「無心になれない」――当然のことです。「脚が痛い」――当たり前のことです。
私たちはえてして、坐っていると余計に煩悩妄想が次から次へと浮かんでくるものです。そのうえ脚の痛さが加わり、どうしようもなくなります。体を崩せばピシャリと警策で打たれます。踏んだり蹴ったりです。坐禅というものが、一体なんであるかわからなくなります。これは自然のなり行きです。
私事にわたって恐縮ですが、禅を志して専門道場に入門したのは、かれこれ二十余年前になります。そこでは、坐禅会のように週一回とか、月一回、それも、せいぜい二、三時間くらい坐禅するのではなく、毎日毎日不眠不休、坐禅坐禅の連続の生活ですが、最初の一、二年は脚の痛さと、警策ばかりが気になって坐るどころではありませんでした。脚の痛さが取れたのは、五、六年もすぎた頃だったと思います。本当に自分自身で、じっくり坐禅ができたと思うようになったのは、十年の声を聞いてからだったと記憶しています。
坐禅会で、少々坐禅したからといって、無心になれない、脚が痛いのは誰も同じことです。簡単に無心になれるのがおかしい!
脚が痛くないというのは、脚の形が変わっているのです。ふつうの形だったら痛いのに決まっています。
では、どうしたら「無」になれるのでしょうか。
それは『無門関』第一則、「趙州無字」に参じなければなりません。
趙州和尚、因みに僧問う、「狗子に還って仏性有りや無しや」。
州云く、「無」。
――犬にも仏のいのちがありますか、または無いのでしょうか。趙州答えていわく、「無」。
朝から晩まで、晩から朝まで、寝ても覚めても「無」の生活が始まります。頭の天辺から脚の爪先までの全身全霊を以て、この公案「無字」と取り組み、大疑団を発して無に参じます。
虚無だの、有無だのと思慮することなく、片時も忘れることなく、ただただ無に徹します。恰も真っ赤に焼けた鉄の玉を呑み込んだように、飲み込むこともできなければ、さりとて吐き出すこともできず、絶体絶命、決死の覚悟で取り組みます。さすれば思慮分別、煩悩妄想を打ち払って、自分もない、居るべき大地もない、何もない無字一枚の境地、ドスンとした真暗々の消息を得ることができるのです。 そこは、自他・有無・生死など、一切の相対的差別の無い、天地ヒタ一枚「無」の世界です。
ここに至って初めて、「無」になり切ったというべきです。スポーツ選手は、血の出るような練習によって「無心」の所を自然に会得したのです。
『善の研究』で有名な西田幾多郎博士の日記です。
明治三十四年一月
一日(火)晴。……昨夜不眠、精神不快なるにより麻水の上に散歩し、帰路に堀君を訪ふ。午後睡眠。夜坐禅。
二日(水)晴。午前坐禅。午後桑原政明君来り雑談。夜坐禅。此日は大に無用に時を消す。
三日(木)晴。午前坐禅。午後山を散歩す。夜坐禅。十二時頃まで独参。
(西田幾多郎『寸心日記』)