紀元1860年3月3日、雪ふる江戸城桜田門外で水戸浪士等に襲撃を受け殺害されて46歳の短い生涯を終えた井伊直弼は、名門彦根城主の井伊家に生まれながら、妾腹の生まれであったため、長い間、部屋住みの不遇時代を過ごします。しかし、その間も茶道に精進し、江戸幕府の大老職、井伊直弼よりも、石州流の茶人「宗観」として名を知られ、『一会集』を著わします。
その中の一節に、
そもそも茶の湯の交会は、一期一会といいて、たとえば、幾度おなじ主客交会するとも、今日の会に再びかえらざることを思えば、実にわれ一世一度の会なり。
たとえ同じ人に幾度会う事があっても、いま、この時の出会いは再び回って来ない、一生涯、ただ一度限りの出会いであるゆえ、一回一回の出会いを大切に命がけで臨まなければならないというのです。何も茶の湯だけではありません。私達の人生もまた然りです。
思えば、出会いの連続が私達の毎日の人生です。父と母と兄弟と、妻と主人と子供と孫と友人と、同僚と上司と部下達と! 否、人間だけではありません。犬や馬の動物、木や草の植物、この世に存在するすべての物との出会いです。たとえ毎日毎日の親子の仲でも夫婦の仲でもその出会いが、一期一会と合点出来たら、自分の在り方、他とのかかわり合い方が自然と今までとは違ってくるはずです。私達の人生、一期一会の連続です。戻っては来ません。あだやおろそかに過ごせましょうか。
『1リットルの涙』という日記があります。この日記の作者は木藤亜也さんという女性の方で、脊髄小脳変性病という、体を動かす働きをする小脳の細胞が減退してゆく難病に見まわれ、高校に入学する頃から病状が現われ出し、病気と闘いながら通学します。しかし、病勢は止まらず、途中で養護学校に転校を余儀なくされ、遂にはベッドで寝たきりの生活の中でこの日記を書き綴ったのです。
生きたいのです。
動けん、お金ももうけれん、人の役に立つこともできん。
でも生きていたいんです。
わかってほしいんです。
………
お母さん、わたしのような醜い者が、この世に生きていてもよいのでしょうか。
わたしの中の、キラッと光るものをお母さんなら、きっと見つけてくれると思います。
………
若さがない、張りがない、生きがいがない、目標がない……
あるのは衰えていく体だけだ。
何で生きてなきゃあならんかと思う。反面、生きたいと思う。
………
我慢すれば、すむことでしょうか。
一年前は立っていたのです。話もできたし、笑うこともできたのです。
それなのに、歯ぎしりしても、まゆをしかめてふんばっても、もう歩けないのです。
涙をこらえて
「お母さん、もう歩けない。ものにつかまっても、立つことができなくなりました」
………
後十年したら……、考えるのがとてもこわい。
でも今を懸命に生きるしかないのだ。
生きていくことだけで、精いっぱいのわたし。
(木藤亜也『1リットルの涙』エフエー出版参照)
ただ、何となく無気力に生きて行く若者達の多い昨今、動けなくても、人の役に立たなくても、一度の人生を精一パイ生き抜く彼女の生き方、感動せずにはおられません。彼女も一期一会の心の分かった人です。