東風とは春風の事、即ち春一番の東風が吹きます。梅の梢に残っていた雪を吹き払い、一夜にして春がやって来たというわけです。しかしこの句は、ただ春を迎えた喜びを表現しただけではありません。冬の日々を修行時代に、天下の春を悟りを得た喜びの消息に喩えるのです。雪と氷にとざされた厳しい修行の日々。しかし、時節因縁が来て、機が熟して来ます。春一番の東風が吹けば、一斉に雪や氷がとけて、一輪の梅花が咲き、一夜のうちに春になります。煩悩、妄想が吹き払われて、明るい悟りの世界が開けます。この辺の消息を、「東風吹き散ず梅梢の雪、一夜挽回す天下の春」と頌すのです。
学問、芸道、武道、いずれの道でも春を迎えるには、それ相応の艱難辛苦(かんなんしんく)が必要です。まして禅修行に於いては並大抵の努力では成じる事は出来ません。
近頃、中国の明末に袾宏(一五三五~一六一五)という禅者が選述した『禅関策進』という書物を読む機会を得ました。この書は古人が如何に修行したかを記したものです。二、三、紹介します。
「懸崖の樹に坐す」
静琳禅師は経論の講釈を止めて坐禅を修します。しかし坐禅中にどうしても眠気がさして心が落ちつきません。寺の側に高い崖があり、下を望むと千仞の深さで途中に一本の木が突き出ています。禅師はその木の上に草を敷き、その上で坐禅を組み、心を一つに集中して一昼夜坐り通します。少しでも気を許せば千仞の谷に墜ちます。全身全霊、坐禅に徹してついに悟りを得ます。
「衣帯を解かず」
金光寺の昭禅師は、十三歳で出家し、十九歳で洪陽山に入り、迦葉和尚の処に止まって修行する事三年、衣の帯を解かず、寝るにも坐睡のみで、横になる事がありませんでした。そして数年、豁然として悟りを開きます。
「錐を引いて自ら刺す」
慈明、谷泉、瑯瑘三人がグループを組んで修行しています。時は大寒で河東地方は大変寒く、大勢の修行者はフトンに潜り込みます。しかし、慈明和尚だけは、毎日毎日坐禅三昧です。夜、遅くなって眠くなると錐を立てて自分の股を刺して眠気を払い修行に励みます。その後大成して西河の獅子とまで云われる大宗師になります。
これは決して誇大妄想の話ではありません。私達は襟を正してこの話を聞き、「東風吹き散ず梅梢の雪、一夜挽回す天下の春」の消息を得たいものです。
禅語
東風吹散梅梢雪 一夜挽回天下春 (円機活法)
とうふうふきさんず ばいしょうのゆき
いちやばんかいす てんかのはる
『枯木再び花を生ず -禅語に学ぶ生き方-』
(細川景一著・2000.11.禅文化研究所刊)より