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薫風自南来 殿閣生微涼 (槐安国語) くんぷうみなみよりきたる
でんかくびりょうをしょうず

『枯木再び花を生ず -禅語に学ぶ生き方-』
(細川景一著・2000.11.禅文化研究所刊)より

07月を表す季節の画像

 「薫風(くんぷう)(みなみ)より(きた)る」と読むより「薫風自南来(くんぷうじなんらい)」と読むのが習慣的です。
 この語には面白い因縁(いんねん)話があります。唐の文宗(ぶんそう)皇帝(こうてい)(840年没)が、

人は皆炎熱(えんねつ)に苦しむ
我は夏日(かじつ)の長き事を愛す

起承(きしょう)の句を作ったのを()けて、詩人である柳公権(りゅうこうけん)(856年没)が、転結(てんけつ)の句を作って一篇の詩といたします。

  薫風自南来
  殿閣微涼を生ず

 世間一般の大多数の人々は夏の日のカンカン照りの厚さを(いや)がるけれども、私はその夏の日が一年中で一番長いのが大好きである。暑い暑いといっても、時折り、木立(こだち)を渡ってそよそよと吹いてくる薫風によって、さしも広い宮中もいっぺんに涼しくなり、その心地よさ、清々(すがすが)しさはむしろ夏でないと味わえないというわけです。
 しかし約二百年後、(そう)の詩人、蘇東坡(そとうば)(1101年没)は、この詩には残念ながら為政者(いせいしゃ)として庶民への思いやりがない。すなわち、風も通さぬウサギ小屋のような小さな家に起居し、炎天下、農耕に、商売に精を出さねばならない一般庶民の苦しさを忘れて、夏の長い日を広々として宮中で遊んで暮らせばよい皇帝の思い上がりの詩であると批評し、当時の上流階級の人々への諷刺(ふうし)をこめて一篇の詩を作ります。

一たび(きょ)の為に移されて
苦楽(くらく)(なが)く相(わす)
願わくは言わん此の(ほどこ)しを(ひと)しくして
清陰(せいいん)
四方(しほう)に分かたんことを

皇帝陛下は生まれながらにして広々とした宮中に住んでおられるので、天下の人々が炎熱の中に苦しんでいるのに気がつかないのです。どうか、もっと天下万民の上に思いを寄せ、「薫風自南来、殿閣微涼を生ず」のような楽しみ、安らぎを人々に分かち与えてこそ、皇帝ではないでしょうか。

 この語が禅語として重用されるのは、この因縁話に関係ありません。それは宋末の時代、臨済宗の公案(こうあん)禅――曹洞宗の黙照(もくしょう)禅に対するもので、禅の問題すなわち公案を通して悟りに至らしめるもの――を完成した大慧(だいえ)禅師(1163年没)がこの語を聞いて大悟(たいご)したといわれるためです。大慧禅師は「薫風自南来、殿閣生微涼」の語を聞いて、何を感得したのでしょうか。
 私たちは何かというと得失にこだわり、利害にとらわれ、愛憎にかたより、善悪にこだわり、迷悟(めいご)にとらわれ、凡聖(ぼんしょう)にかたよって、右往左往する毎日です。しかし、それらの対立的観念を一陣の薫風によって吹き払ってしまえば、こだわりもなく、とらわれもなく、かたよりもない、自由自在なサッパリとした清々しい涼味(りょうみ)を感じることができます。そのカラッとした、一切の垢[あか]の抜け切った無心の境涯(きょうがい)を「殿閣微涼を生ず」と(うた)ったのです。
 放浪の自由俳人、種田山頭火(たねださんとうか)氏は、松山で人間道場”大耕舎(だいこうしゃ)”を主宰する大山澄太(おおやますみた)氏とは俳句・禅を通しての知友ですが、両氏が初めて対面するくだりを澄太氏が感激をもって講演されたのを聞いたことがあります。
  ――私は立ちどまった歩調を、またとっとと庵に近づけて行きますと、すっと障子(しょうじ)が開きましてね、「澄太君かね」とこうおらぶんであります。「来ましたよ」そういうとですね、()(えん)から彼は飛び出して、裸足(はだし)で下りてきまして、大きな私を引っぱり上げてくれるんです。そして私を引っぱり上げるとすぐ、妙な人で、月並(つきなみ)な挨拶なんかはさせませんですね、すぐ「君、いまちょうどお昼だ、(めし)()いて待っておるから食べてくれ!」と言って、もりもり茶碗によそってくれるんです。室中はガランとして無一物(むいちもつ)、お(ぜん)飯台(はんだい)もない。古ぼけた畳の上に直接、(はし)と皿と湯気の立つご飯が置かれてるんです……中略……その時気がつくと、彼は食べないで、じっと私の方を眺めておるんです。「一緒に食べようじゃないかね」と言ったら、「君、ここはね、茶碗がそれしか無いんだよ。はよう食べてくれたまえ」……中略……本当にまあ、ありのままの山頭火なんです。そこで私も急いで食べて「ごちそうさま」とこう、箸を置いて合掌します。彼はすぐそのまま洗いもせず茶碗をとってもりもりと自分の飯をついで、実にうまそうに食べるんです。腹がへっておったのですね。一生懸命に無二無三(むにむさん)に食べるんですね。キョロキョロしないんです。(大山澄太述『俳人山頭火の禅』臨済会刊)
 山頭火の行動には何のこだわりも、とらわれも、かたよりもありません。生まれたままの赤子のような純粋な心が、そのまま行動になっているのです。山頭火の生きざま、まさに「薫風自南来、殿閣微涼を生ず」の端的ではないでしょうか。