「ばんざい」とも読みますが、「ばんぜい」と読んだほうがより禅的です。中国、前漢の時代、元封元年(紀元前110年)の正月元日、時の天子武帝は、大勢の臣民とともに中国五岳の一つ嵩山に登り、天子自ら恭しく祭壇を造って、山の神々に、天下泰平、国家鎮護を祈念します。それを見守っていた臣民たちは感激し、天子の武運長久を祝して歓呼の声をあげます。それが五岳の山々にこだまして、「万歳、万歳、万々歳」と大きく三度聞こえたといわれます。この故事により、目出たいときには「万歳」と呼ぶ習わしになったのです。
しかし、禅家でこの句を珍重するのは、歓呼の声がこだまして「万歳」と聞こえただけではく、山そのものが「万歳」と呼ぶと見るのです。
晴れであろうと、雨であろうと、風が吹こうが、どんな暴風雨がこようとも、山はいつも泰然自若として少しも動ずるところなく、堂々として静かで雄大です。その雄大な姿こそが光り輝く仏の姿であり、悟りの真実でなくて何でしょうか。雄大な自然が、「万歳、万歳、万々歳」と仏の命を吐露しているのです。山だけではありません。川も海も、石も木も、虫も鳥も、事々物々、万々歳と叫んでいます。
飢餓に苦しむアフリカに100万枚の毛布を送る運動を主導した俳優の森繁久弥さんが、ボランティア運動に参加する機縁となった話があります。
彼はあるとき、自家用のヨットに乗って、ただ一人、横浜の港から神戸まで数日間の航海をします。初めは沿岸の景色や島影など、海上の風景を楽しみながらの気楽な一人旅でした。順風満帆です。しかし、その海岸線も島も見えなくなり、大海に出てしまえば、行き交う船もなく、たった一人、気ままな風と羅針盤だけがたよりです。やがて真っ暗な夜がくる。はげしい不安と孤独感が全身を襲います。じっと襲いくる不安と孤独に耐えながら森繁さんは、いや応なしに素裸の自分を見ます。人間社会の仮面をはぎ取られた久弥だけが、そこにあります。
そのとき、彼は、遠い彼方にかすかなる一条の光を見ます。灯台の灯です――ああ、自分は一人ではない、今、自分を見守ってくれている人がいる。それも一人ではない。無数の人々に見守られ、自分は生かされているのだ――と、かすかな灯台の灯が森繁さんのむなしい心に灯を点じ、不安や孤独感を吹き飛ばします。生かされている喜びをふるい起こさせます――(『花園』誌。西大拙「彼岸灯」)
東京に帰った森繁さんは、早速、全国の灯台守の子どもたちに慰問の品を贈ります。海の万歳の声を聞き、灯台の灯の万歳を聞いたのです。
「山は呼ぶ万歳の声」――もう一度あたりを見渡して、万歳、万歳、万々歳と叫ぶ声を聞こうではありませんか。
禅語
山呼万歳声 漢書 やまはよぶばんぜいのこえ
『白馬蘆花に入る -禅語に学ぶ生き方-』
(細川景一著・1987.7.禅文化研究所刊)より