寒雲とは冬の凍てついた雲、幽石とは苔むした静かな石。霜月とは霜の降りる夜の月。清池とは澄みきった池の事。
初冬の頃です。冬の凍てついた雲が苔むした石を抱くように取りまいています。あたりは深々と冷えこんで霜の降りるような夜です。寒々とした月が澄んだ池を照らしています。まさに初冬の夜の情景です。
禅の修行で鍛え上げた境涯を、色々な季節の風景に託して表現しますが、一番多いのは秋で、次いで春のようです。冬はあまり多くはありませんが、この「寒雲……」の句はよく用いられます。
ある見方をすれば、禅の修行は捨て切る修行です。それは、切り捨てようとしてもどうしても捨て切れない煩悩妄想は云うに及ばず、永年積み重ねて来た知識、財産、地位、名誉等を一切捨て切って大死一番「無」に徹することです。
夏が終わり秋が来て、花も枯れ、葉も散って冬眠の「死」の世界が、この死に切った「無」の消息を端的に象徴するのに一番ふさわしいかも知れません。禅寺の庭には石と砂だけで山や川や水の流れを表現した「枯山水」の庭や、石だけを置いた「石庭」などが多いのはこの辺の消息です。
凄惨なまでの冬景色こそ、余計なものを一切捨て切った道人の磨き上げた心境というわけです。
道元禅師は二十四歳の時、宋に渡ります。まず天童山に入門し、毎日一心に古人の語録を読みます。ある時、西川(蜀の地方)の方から来た一人の僧が詰問します。
「古人の語録なんか読んで何の用ぞ」
「古人の行履(行い)を知るのだ」
「それを知ってどうするのだ」
「日本に帰ってから人を教化する」
「そうやってどうするのだ」
「衆生を救済するのだ」
「畢竟どうするのだ」
道元禅師は黙って引き下がります。それっきり語録等は一切見る事なく、坐禅一すじに励んだと云われています。道元禅師にしてみれば、祖師の語録も余計なものだったのです。また、鎌倉幕府から二千石の寄進状をもらった弟子の玄明を破門追放したのみならず、玄明の坐禅修行をしていた床の下を七尺も掘り下げ、その土を投げ捨てたという逸話からも、道元禅師の境涯を思う時、まず、この「寒雲幽石を抱き、霜月清池を照らす」の句が思い出されます。
禅語
寒雲抱幽石 霜月照清池 (虚堂録)
かんうんゆうせきをいだき
そうげつせいちをてらす
『枯木再び花を生ず-禅語に学ぶ生き方-』
(細川景一著・2000.11.禅文化研究所刊)より